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日刊サイゾー トップ > 社会 > 事件  > 田中角栄逮捕の裏にアメリカの権謀術数

田中角栄逮捕の裏側―明るみにされた策士キッシンジャーの権謀術数の数々

退任後、田中邸を3回も訪れたキッシンジャー

 軽んじられたものだ。だが、今もキッシンジャーは日本にとり、外交、安全保障問題での巨人、権威として聳え立つ。春名の著書によると、キッシンジャーはフォード政権の国務長官退任後、田中の東京・目白の私邸を3回訪問している。

 春名は「キッシンジャーは日本で自分の関与が具体的に知られていなかったので、平気で来訪することができたのだろう。本書が広く読まれて、キッシンジャーが日本訪問を躊躇するほどになれば、日本人の情報収集能力が見直されることになるかもしれない」と記す。 

 ぜひ、そうあって欲しいと思う。何食わぬ顔で平気で自らが葬った人間に会いに行く神経。

「人を背後から切っても、心にわだかまりを残すような人間ではなかった」(春名)のだろう。

 田中はキッシンジャーの3回目の来訪となった85年1月3日の翌月2月27日に脳梗塞で倒れ、話すのが不自由になった。これで田中自身に、キッシンジャーから如何に酷い仕打ちを受けたのか聞く機会は永久に失われた。

 軽井沢の老舗ホテル、万平ホテルには田中が首相に就任して間もない1972年8月19日に同ホテルでキッシンジャー氏と会談したのを記念して今も会談時の写真や会談に使われたソファーなどが置かれた小さな展示場が設けられている。その中の写真に握手を求める田中とそっぽを向くキッシンジャーの写真がある。その後の顛末を象徴しているようで興味深い。

 意識がはっきりしているうちに事実関係を確認しておきたいと思い、80代後半の父親に南米の某国に国産旅客機YS-11を売り込んだ当時のことを思い出してもらい、相手方の関係者に賄賂(リベート)を贈ったかを今一度聞いてみた。「申し出てみたものの、その人物は“超”がつく金持ちでリベートは断ってきた」という。今となってはそれが事実かどうかを裏付ける術もないが、なんだかホッとした。

 田中が逮捕された翌年の77年、米国で米国外の公務員に対する商業目的での贈賄行為を禁止する連邦海外腐敗行為防止法(FCPA)が制定される。以後、外国の政府高官や公務員に賄賂を贈ることは法で禁じられる事となった。適用対象は米国企業だけでなく米国と関連するビジネスを行う事業者全般にわたり、海外で展開する日本企業も適用対象となっている。

本田路晴(ジャーナリスト)

連邦海外腐敗行為防止法 (FCPA) に関する調査、ホワイトカラー犯罪の訴訟における証拠収集やアセットトレーシングなどの調査・分析を手掛ける米調査会社の日本代表を経て現在は独立系コンサルタント。新聞社特派員として1997年8月から2002年7月までカンボジア・プノンペンとインドネシア・ジャカルタに駐在。その後もラオス、シンガポール、ベトナムで暮らす。東南アジア滞在歴は足掛け10年。

ほんだみちはる

最終更新:2021/01/29 15:03
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