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日刊サイゾー トップ > 社会 > 事件  > 田中角栄逮捕の裏にアメリカの権謀術数

田中角栄逮捕の裏側―明るみにされた策士キッシンジャーの権謀術数の数々

北方領土交渉進展阻止をソ連側に働きかけたキッシンジャー

 キッシンジャーは米国に先駆け、72年に日中国交を正常化し、73年の第四次中東戦争後は、米国に随従一辺倒だった日本の中東外交を親アラブに方向転換させるなど、日本の“独自外交路線”を試みようとした田中を蛇蝎の如く嫌い、事あるごとに足を引っ張った。

 本書では田中の首相在任時の73年10月のソ連訪問と北方領土交渉も、キッシンジャーによって進展が阻まれたことが明らかにされている。キッシンジャーは田中とレオニード・ブレジネフ(ソ連共産党書記長)の日ソ首脳会談を前に、アナトリー・ドブルイニン駐米ソ連大使をホワイトハウスに招き、「米国としては、日本に反ソ政策を押し付けないので、ソ連側の見返りを期待したい」と、田中が進めようとする領土交渉進展を阻止したいとする米国の意向を受け入れるよう求めた。これに対し、ブレジネフからも、「ソ連が四島に関して譲歩することは問題外だ」とする回答が寄せられた。

 実際行われた会談で、日本側は田中とブレジネフの会談が3日間で計4回、7時間以上費やされたことを成果としたが、領土交渉での進展はほとんどなかった。

事情を知らずキッシンジャーを礼賛する日本人

 こうした裏工作など策を弄するキッシンジャーの実態は日本ではあまり知られていない。学識豊かな元ハーバード大学教授。ベトナム戦争を和平に導きノーベル平和賞を受賞した人物などとして今も尊敬を集める。

 同書ではジョンソン政権下のベトナム戦争時、国務省のコンサルタントをしていながら、同政権内の情報源を裏切り、敵方のニクソン陣営に情報を提供したことや、サルバドール・アジェンデが率いるチリの社会主義政権を米中央情報局(CIA)を使った強引な方法で崩壊させたことなども紹介されている。

 筆者自身も駐在していたプノンペンで、カンボジア内戦を一兵士として戦ったカンボジア政府の高官から、70年に実施された米軍と南ベトナム軍によるカンボジア東部侵攻について、「画策したのはキッシンジャーだ。あいつだけは許せない。戦争犯罪人として処刑されるべきだ」と息巻かれた。これまで日本国内でのキッシンジャー評しか耳にしたことがなかったので面食らったのを覚えている。

 同書ではキッシンジャーが田中に食らわした外交上の非礼も記されている。田中はウォーターゲート事件で辞任したリチャード・ニクソンの後を受け、副大統領から大統領に昇格したジェラルド・フォードと74年9月、ホワイトハウスで初めて会う。そこにキッシンジャーが割って入ってきて、「大統領、日本のプレスには驚きます。東京で30人の民間人を相手にオフレコのブリーフィングをしたら、次の日その一問一答が新聞に出ていたんですから」と言い放ったという。

 日米首脳の冒頭に一閣僚が口にすべき言葉ではない。無礼千万な酷い対応だが、日本人を小ばかにするキッシンジャーの言動はニクソン訪中時の毛沢東、周恩来との会談記録を米国家安全保障公文書館の資料から日本語に起こした毛利和子・毛利興三郎(訳)の『ニクソン訪中機密会談録【増補決定版】』(名古屋大学出版会)でも垣間見ることができる。

 キッシンジャーは72年2月23日に行われた葉剣英党中央軍事委員会副主席(中国人民解放軍の創立者の一人で、中華人民共和国元帥)らとの会談で、「我々が日本人に対していつも経験していますが、彼らは秘密を守ることができませんね」、「日本の外交官に何か話すと彼は秘密を守ると誓いますが、それは72時間はという意味です」等々、自らの見下した日本人観を中国の首脳にも述べている。

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