2020年、山口組分裂抗争重要ニューストップ3とは? 識者に聞いた
2015年に勃発した山口組分裂抗争だが、昨年、六代目山口組の髙山清司若頭が社会復帰すると、その流れは一気に六代目サイドに傾いた。さらに年が明けると、その勢いは増し、神戸山口組や絆會といった対峙する勢力との力の差は歴然となった。では、そんな1年の中で、特に見落とせない重要なトピックとは何だったのか?
この問題をウォッチし続け、さらに業界内外のネットワークを駆使して最新情報発信し続けてきた、作家の沖田臥竜氏に「三大ニュース」を上げてもらった。
1、五代目山健組の神戸山口組からの離脱
2015年に六代目山口組が分裂。神戸山口組が誕生し、その神戸山口組がさらに分派。現在の絆會の前身となる任侠山口組(結成当時は任俠団体山口組)が発足され、業界内は混沌を極めようかとしていた。度重なる分裂に「もう、何が起きてもおかしくない」と口にする業界関係者が、少なからずいたほどだ。要するに、起こるはずのなかった山口組分裂だけでなく、さらに神戸山口組すら分裂したことで、イレギュラーな出来事にも、ある種の免疫ができてしまったのかもしれない。
ただ、そんな前提をもってしても、神戸山口組の中核団体といえる五代目山健組の一部が神戸山口組から離脱し、残留派と離脱派に分かれることなど、誰も想定することができなかったのではないだろうか。
なぜなら、神戸山口組と山健組は“イコールの関係性”にあったのだ。
実際に神戸山口組の井上邦雄組長は、同組発足当時、四代目山健組の組長を兼任していた。その後、2018年に同組で若頭を務めていた中田浩司組長に五代目を継承している。そうした絶対的な信頼関係がありながらも、中田組長は獄中から弁護人を通じ、神戸山口組からの離脱を表明してみせたのだ。
当時、それを受けた五代目山健組は、大きく揺れることになる。それはすなわち神戸山口組全体が揺れることと直結する。
中田組長は、2019年8月に起こった六代目山口組弘道会系組員への銃撃事件の容疑者として逮捕、起訴され、現在まで弁護人以外の外部との面会が禁じられている。そのため、五代目山健組では、中田組長の意向を受けて、数度の会合が開催されることになった。そこで争点となったのは、弁護人以外と面会できていない状況下の中田組長には、離脱するという判断に足る、社会情勢や組織の情報などがきちんと伝わっていないのではないかというところにあった。
そうした事情からも、五代目山健組サイドは中田組長に手紙を書き、それを弁護人に託すなどの手段もとられたとされている。だがそれを受けても、中田組長の意向は「井上組長には、もう付いていけない」というものだったようで、結局は神戸山口組を離脱してみせたのだ。
だが、ここでも五代目山健組直系組長らの意見は分かれることになった。大半の組員らは中田組長の意向に沿う形で神戸山口組を離脱し、五代目山健組として一本(独立組織)としてやっていく道を選択することになったのだが、先代となる井上組長に付き、神戸山口組に留まることを決めた勢力も出たのである。
「神戸山口組残留派の組長らも、親分は中田組長に変わらないという点については、離脱派と同じ認識だったとされる。ただ、神戸山口組の中で中田組長の帰還を待とうという組長らと、親分である中田組長がどこにいようが『離脱する』といえば、子分たる者はそれに従うだけとする組長らで分かれることになったようだ」(業界関係者)
結局、神戸山口組から離脱した五代目山健組は、残留派の組長らに対して、絶縁、破門といった厳しい通達を出すことになったのだった。
2,六代目山口組では野内組・権太会が勢力拡大
関西随一の繁華街、大阪からミナミ。群雄割拠といわれるその街で、一世を風靡する組織が存在する。平野権太会長率いる権太会だ。そして、六代目山口組分裂問題で常に最前線に立ち続け、組織を拡大し続けてきた三代目弘道会若頭である野内正博組長率いる野内組。その野内組に、神戸山口組傘下であった権太会が加入したのが、去年のこと。業界関係者の間でもその移籍について、さまざまな噂が錯綜したほどであった。それだけ業界内でも注目された出来事だったということだろう。そこからの権太会は破竹の勢いで、さまざまな組織を傘下に収め、関西のみならず、関東や信州に勢力を拡大し続けて、分裂問題では主戦場のひとつだった兵庫県尼崎市内にも影響力を及ぼす組織となった。
「今回の分裂問題の特徴は、切り崩し工作が活発化していることではないでしょうか。武力による攻撃をしかけ、相手組織を壊滅状態に追い込んでしまうのではなく、相手側を切り崩して自軍へと移籍させる。そういった際、組員はどうせ移籍するならば、強い組織、面倒見のよい組織を選択します。そんな中で組織を一番拡大させたのが、平野会長率いる権太会ということではないでしょうか」(実話誌記者)
権太会の勢力拡大は、上部団体の野内組、さらに野内組の上部団体の三代目弘道会へと直結し、それがきっかけとなったかのように、他組織から弘道会傘下への移籍が続出することになっていった。六代目山口組サイドが執拗に攻めても落ちなかった信州の武闘派組織で絆會傘下であった三代目竹内組も、今では三代目弘道会の直系組織となっている。
3,任侠山口組が名称を変更させ、菱の代紋を下ろす
これまでのヤクザ社会のしきたりや概念を払拭し、脱反社という新たな試みを掲げて立ち上げられたのが、2017年に神戸山口組から離脱した任俠団体山口組であった。
その発足は、六代目山口組と神戸山口組の激しい衝突が膠着状態に入っていただけに、再びメディアは“第三の山口組”として、兵庫県尼崎市で結成されたこの組織をクローズアップすることになった。神戸山口組がメディアを積極的に活用し、その存在を認知させる手法を用いたことを踏まえ、任俠団体山口組は、神戸山口組を批判した2度にわたる記者会見を開催させるなど、より鮮明にメディアへ自分たちの姿を映させるという、画期的ともいえる戦略を試みたといえるのではないだろうか。その後、任俠団体山口組から任俠山口組へと改名するも、当局によって特定指定暴力団へと官報に公示されることとなり、織田絆誠会長をトップとした従来の盃ごとを取り入れ、組織改革を断行し続けた。
そして今年、ついには山口組の名称を外し、これまで使用していた菱の代紋を下ろして、組織名称を現在の絆會へと改名させることになった。その流れの中では、六代目山口組への加入説や解散説が話題を呼ぶこともあったのだ。
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