なぜカニエ・ウェストは人種差別的な小説に惹かれた? 現代アメリカ文学が描く“時代”を気鋭研究者が徹底分析!
#文学 #アメリカ #カニエ・ウェスト #米文学
ヘタクソな小説の素晴らしい一人称
――最近の新しい潮流は?
青木 文学研究的には、この本で吉田恭子先生が書かれているクリエイティヴ・ライティング(大学で小説などの書き方を教えるコース)が注目されています。本に書かれているようにものすごい勢いで広がっていて、そこからジョージ・ソーンダーズのようにめちゃくちゃ小説がうまい作家も出てきている。
一方で、「大学で教えられて出てきたものなんて文学/作家じゃない」といった反発も根強くあって、今年翻訳が出たニコ・ウォーカーのデビュー作『チェリー』は「クリエイティヴ・ライティング的じゃないから良い」といわれているくらいです。『チェリー』は『アベンジャーズ』を撮ったルッソ兄弟によって2021年に映画公開が予定されていますが、これは小説的にはヘタクソなんです。でも、ダメなヤツの一人称が素晴らしい。著者はイラク戦争帰還兵でPTSDになって、オピオイド(医療機関で処方されるケシ由来の鎮痛薬。2010年代に蔓延し、社会問題化した)の依存症になり、銀行強盗をして捕まって、刑務所でこの作品を書いたのですが、やはり小説はお金がなくても書ける。どこでも書ける。技術的にはヘタでも、良いものは良い。文学にはそういう面白さがある。
で、話を戻しますと、クリエイティヴ・ライティングが盛況なのはその通りなんですが、業界の構造にすぎないので「文学潮流」とはいえないんですよね……。
――思想やスタイルや運動ではないですものね。
青木 このインタビューを受けながら改めて思ったのですが、音楽や映画だと、盛り上がっているシーン、トレンド、そしてやっぱり中心人物が2010年代にはいたじゃないですか。トラップ・シーンがあり、テイラー・スウィフトと共にポップ・ミュージックが復興し、ケンドリック・ラマーやカニエが常に話題の中心にいた。映画ならばマーベル・シネマティック・ユニヴァースがグローバル市場を席巻し、Netflixが映画視聴の体験そのものを変え、A24のような小規模スタジオの躍進も目覚ましかった。でも、文学はそのようなものがなかった。でも決してつまらないわけではない、すごい書き手もいるし、素晴らしい作品もあるんだ、ということを、アメリカ文学研究者である私たち自身がなにより知りたかったのです。飯田さんの最初のまとめに戻ってしまいますが(笑)。
この本の発起人であり中心人物である矢倉喬士さんは、この問いに誰より貪欲です。彼はつい最近、2010年代におけるオートフィクション(自分語り、一人称小説)の隆盛を考察する「意識の疲れ」という論文を書きました。「自分語り、一人称」小説は過去にも多くあったけれど、SNSがここまで私たちの日常生活になった「自分がメディア」になった時代に、私小説めいたものが復活していくさまを分析している、大変面白い論考です。
――面白い話ですね。この本の続編、第2弾も期待していいのでしょうか?
青木 あるといいなと思っているんですよ。ただ、売れてくれなかったら、次はないので……買ってください!
――(笑)。次の企画も楽しみにしています。青木さん個人としてはどんな取り組みを?
青木 博士論文を絶賛執筆中です。この本のせいで1年遅れました(笑)。博論の内容は「1990年代アメリカ文学論」でして、この本で取り上げた『ファイト・クラブ』や『アメリカン・サイコ』がそうであったように、1990年代と2010年代の連続性を意識しながら書いています。そういう見方を得られたのもこの企画に参加できたからで、改めて思い入れのある本です。次は博論を仕上げて、その成果を世に出せたら嬉しいです。
●プロフィール
青木耕平(あおき・こうへい)
1984年生まれ。出版社勤務を経て、一橋大学大学院に進学、1990年代のアメリカ小説/文化を研究する。現在、東京都立大学、武蔵野美術大学の非常勤講師。主な論考に「アメリカの裏切り者」(「アステイオン」93号)、「神話を書き換え、高く翔べ──ジェスミン・ウォードとアメリカの十年」(『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』付属解説)、「『ビラヴド』と、その時代」(「ユリイカ」2019年9月号)。
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