『麒麟がくる』岡村隆史が演じる“忍びの者”を考察!「伊賀忍者が家康を逃した説」は嘘か誠か
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大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)が、ますます盛り上がりを見せている。ドラマをより深く楽しむため、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が劇中では描ききれない歴史の裏側を紐解く──。前回はコチラ
先日、『麒麟がくる』で菊丸という忍びの者を演じていた岡村隆史さんがクランクアップ(撮影終了)したと、ご自身のインスタグラムで報告なさっていました。菊丸、性格俳優としての岡村さんの可能性を感じさせる良い役だったと思いますね。
『麒麟』の公式サイトによると、菊丸は「三河の農民」で「忍びの者」。お駒ちゃん、東庵先生、そして伊呂波太夫らに比べると、非実在のキャラクターでも人気が高かったような気もします。
12月のクランクアップということは、最終回あるいはその間近まで菊丸が活躍するということを意味していますね。今回はドラマの意外なキーマンとしての菊丸、そして戦国時代に実在し、活躍していた「忍びの者」たちの実像についてお話ししたいと思います。
「忍びの者といえば、忍者でしょう?」と読者は思うかもしれません。しかし、三重大学准教授の吉丸雄哉氏の実証研究によると、「忍者」と書いて「にんじゃ」と読むようになったのは実は昭和30年代のこと。
また、忍びの者として活動する際、彼らが身につけたトレードマークのような忍者服……つまり、例の黒装束についても、初出は18世紀中盤あたりの歌舞伎や人形浄瑠璃の舞台であろうとのこと。戦国時代、各地の大名たちに雇われ、諜報活動を行っていた忍びの者たちは、いかなる際も黒装束をまとうことはなく、『麒麟』の菊丸のような一般的な服装で活動を行っていたのです。
それではなぜ、忍者が黒い衣装をまとうようになったのでしょうか? 歌舞伎などの日本の伝統芸能の舞台では、それこそ忍者服に似た漆黒の服をまとった「黒子」というスタッフたちが、舞台上で役者の着換えを手伝ったり、小物を手渡したりといった役目を果たしています。彼らが真っ黒な服なのは、黒装束の者は舞台上に存在しない、つまり本当はいない存在という舞台上の「お約束」があったからです。
ですから、忍びの者に、黒子に似た黒装束を着せるようになったのは、そのあたりの「お約束」が影響しているのでしょう。
また、『麒麟』の公式サイトによると、菊丸については「三河の国の農民」とプロフィールに書かれています。この設定は、菊丸役のクランクアップの時期も合わせて考えれば、いわゆる「神君伊賀越え」の逸話と絡ませるためのものではないか……と筆者には推測されます。
「神君伊賀越え」とは、織田信長が「本能寺の変」で明智光秀に討たれてからは、明智方から命を狙われるようになった徳川家康が、京都から自領・三河まで逃げ帰る際の“受難劇”ですね。
この時、通説では伊賀忍者である服部半蔵が、徳川家康一行を案内し、その功績をもって服部半蔵や伊賀忍者たちは後に徳川幕府にも仕官するようになったという「ストーリー」が語られがちです。
大河ドラマでもほぼ、毎回採用されている設定ではありますが、史実をたどれば、実は怪しい話なのです。たしかに徳川家康の「伊賀越え」は本当にあった話なのですが、「現代でいう伊賀地方を本当に通って逃げたのではなさそう」なのと、家康の逃亡を助けたのは「服部半蔵が率いる伊賀忍者ではなさそう」という2点で、定番のストーリーについて大きな疑問が生じるのです。
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