『女帝 小池百合子』はフェミニズム的にやや古い? オジさんに媚びを売って成り上がる女性像
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ネオリベラリズム・フェミニズムを利用
この「右頬の赤いアザ」について、本書ではしつこいくらいに触れられている。アザがあるせいで、幼い頃から「女の子なのにかわいそう」「アザがあるから良縁にはめぐまれない」と言われて育ったことが、あたかも小池氏の性格を形成する大きな要因となったように描かれている。アザは、女性として生きることの困難を決定づけた刻印であるかのごとく。
「アザについてドラマチックに書かれていますが、それがあっても小池さんは美人ですし、そこまで大きく生き方を左右するものなのか……。女性は誰でも、何かしら容姿のコンプレックスを持たされて生きていますからね」(田中氏)
「アザを象徴として描き、特別視する効果を生んでいますが、そんなに特殊な生い立ちといえるのか。化粧しないと外に出られないのは、一般女性でも普通にあること。そのあたり、読者によっては逆に彼女にカリスマ性を感じた可能性もあります。政治家の評伝はそもそもそういう性質があるのかもしれませんが、それよりは社会全体の構造を見るべきではないでしょうか」(菊地氏)
実際、小池氏は次のような発言を残している。
「私は、女性であることの困難さを感じたことがないんです。むしろ男性の持っていないものを持っている強みがあると思っています。ただし私自身は独り身で自由ですが、子育て中の女性は大変でしょう。家庭の仕事の多くが女性にのしかかっていて、これをこなしながら社会で活躍するには乗り越えなければならない困難が山積しています。でも私自身には全くありません。
男だから、女だからというのは本来全く関係ないことです。会社経営なら、バランスシートを読み、社員の士気を高め、新商品を開発し利益を上げ、納税し、社会的責任を果たす。ここに男女の違いはありません」(「経済界ウェブ」17年10月5日付)
小池氏本人はこのように述べる一方、「著者の世界観は第二波フェミニズム的」と菊地氏は指摘する。
「女性は元来、自然や平和を愛し、弱者に優しいというイメージでとらえていますよね。でも、実際にはそんなことはいつの時代もない。その意味では、小池さんはマジョリティの女性なんです。2000年代から社会全体が変わり、『もう女性は解放された』『フェミニズムは必要ない』『自分は男性とうまくやっていく』というポストフェミニズムが起こりました。それはまさに、小池さんの都知事就任以前の政治スタンスで、小沢一郎さんや小泉純一郎さんら男性リーダーに寄り添い、上昇してきた。そして2010年代に入ると、市場原理を重視し、結果的に男性的価値観を体現するネオリベラル・フェミニズムが世界的に生まれます」(菊地氏)
ネオリベラル・フェミニズムの代表として、菊地氏はフェイスブックのCOOであるシェリル・サンドバーグを挙げる。彼女は13年に『LEAN IN(リーン・イン) 女性、仕事、リーダーへの意欲』(日本経済新聞出版社)を出版。女性がキャリアを上昇できない理由は「女性自身の意識」にあるとし、「リーン・イン(身を乗り出す)」してキャリアを向上させよ、と諭している。
「小池さんは前回の都知事選前後あたりから、そうしたフェミニズムの動きを無意識に利用しているように思います。彼女の打ち出す、キャリアを上り詰めるけれど、オシャレも忘れないエリート女性というイメージは、今の社会の空気にぴったりです。新型コロナウイルス対策でも、力強いリーダーシップを見せつけようとしています。しかし『女帝』では、ポストフェミニズムからネオリベラル・フェミニズムにつながる社会の気分をあまりとらえられていません」(菊地氏)
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