『麒麟がくる』織田信長を滅亡させたのは魔性の香り「蘭奢待」だった? 天下人たちがこぞって欲した香木の文化史
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家康から明治天皇まで魅了された香りの正体
徳川家康も、蘭奢待に強い関心を寄せたひとりで、征夷大将軍に就任した前の年である慶長7(1602)年、腹心の部下2名を奈良に派遣、「宝庫を開き、蘭奢待を視(み)せしむ」……つまり、正倉院の扉を開かせ、蘭奢待の実物を確認させた「だけ」という、やや不自然な記録が残されています。
家康は蘭奢待に興味津々。しかし信長のように命令して切らせれば、凶事が起きるのを恐れているのでしょう。正倉院を管理していた東大寺が家康の本意を察し、蘭奢待の提供がコッソリ行われたと考えたほうが自然だと思われます。ほかにも5代将軍・徳川綱吉にも、香木を納めるための木箱を正倉院に寄付した記録があり、この時も恐らくは蘭奢待の提供が東大寺から綱吉に行われたのであろうなぁ……と思われます。
権力者たちがこだわった蘭奢待。どんな香りを秘めているのかを推測してみましょう。蘭奢待は沈香(じんこう)と呼ばれる種類の香木で、沈香の香りは「幽玄」そのもの。沈香にはランクが何種類かあり、その最高級品が「伽羅(きゃら)」と呼ばれます。高級品になればなるほど香りは強くなり、少しの間炊くだけでも、部屋に香りが染み付きます。沈香を生み出す、沈香樹になりうるのはジンチョウゲ科のある植物で、それはベトナム、インド、マレー半島、そして中国あたりに自生している、常緑の香木だとか。
例の香りの源は、その植物の体内で作られる油分なのですが、樹齢50年以上の古木にならないうちは、まったく何のにおいもしないそうです。しかも、名香となるにはさらなる条件があります。
古木が何らかの原因で大きく傷み、その傷口から樹液が漏れ出してから固まり、そこに何らかの菌がついて腐食したものだけが沈香になりうるらしいのですね。ちなみに人工的に沈香を生産したり、完全に再現することは、現代科学の技術では不可能です。
現代日本で沈香として流通しているものはいくら高級品でも、古い時代の沈香と比べるとまったく別モノで、「古いものに比べてその品質が遠く及ばない」という説も(以上、『香りの世界をさぐる』より)。
蘭奢待の香りはよほど素晴らしいのではと思われるのですが、その外見から見る限り、香りの源である樹脂の層が薄い=色が薄いという声もあります。ゆえに「香りが強いようには思えない(朝比奈泰彦の説)」と評される一方、「色が薄くても、沈香としての香りが薄いとは決めつけられず、蘭奢待の成分を科学的に調査したところ、現代でも強い香りの成分を保有している(米田該典の説)」ともいわれており、謎に満ちているのです。
現時点で蘭奢待の香りに実際に接することができた最後の人物とされるのは、明治天皇です。天皇による切り取りは、明治10(1877)年および、その2年後の2回もあったそうですよ。天皇が香木を炊いてみさせたところ、「薫烟(くんいん)芳芬(ふんぷん)として行宮に満つ」。これを読み解くと「よい香りが立ち上って、建物の中に満ち溢れた」というのです(『明治天皇紀』)。
余った部分は天皇によって東京に持ち帰られたそうですが、2回も天皇が求めてしまったということは、素晴らしい香りだったのでしょう。なお、明治天皇が切り取りした大きさは今回の筆者の調査ではわかりませんでしたが、伝統的な香道のお作法にもとづき、香木を香炉で炊いてその香りを“聞く”場合、1グラムほどの香木から、最大で60-70枚ほどの片鱗を切り出せるとのこと。
つまり、想像以上にかなりの機会で使えるだけの量になるため、明治天皇はよほど蘭奢待をお気に召したということでしょう。現在の沈香からは想像もできないほど、異次元レベルに素晴らしい香りを秘めているかもしれない蘭奢待。想像するだけでも贅沢な気分になれますね。
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