井筒和幸監督の新作で松本利夫(EXILE)が「人格崩壊寸前」の熱演! アウトロー映画『無頼』が描く、戦後の成長と歪み
#EXILE #井筒和幸 #無頼 #松本利夫
若き井筒監督が京都撮影所で体験したこと
松本 アウトサイダー映画をいろいろと観て、かっこよさに憧れてアウトサイダーになる人が多いんだろうなと思っていたんです。でも、実際に演じてみて分かったことですが、憧れでその世界に入っていくわけじゃないんですね。
井筒 中には憧れで入っていく奴もいるかもしれないけど、そういう人は続かないよ。やっぱり、境遇というものが大きい。そして、似た境遇な者同士が集まった組織だからこそ、家族以上の関係性になれる。
松本 僕らもEXILEというグループ、一種のファミリーがあって、そこから学ぶものがすごく大きかった。主人公の井藤は組織のトップとして、仲間や家族のことを思い、一緒に成り上がっていこうとするわけだけど、どう演じればいいのか悩んだシーンは、自分とグループとの関係を照らし合わせて考えてみたりしましたね。
井筒 ソウル・ブラザーズだからな。
松本 はい、そうですね(笑)。
──ダンスの世界で食べていくのも大変ですよね?
井筒 大変だよ。それこそ、命がけだ。
松本 形は違うけど、主人公の生き方と通じるものはあったと思います。
井筒 人と人とを結びつける信頼関係は、生きていく上での信条を共にすることができるかどうかということ。友情とか、そんな甘い言葉じゃないんだよ。EXILEだけじゃなくて、どこの世界でも、そこは一緒。井筒組も同じ。信じ合えないスタッフは、出ていくことになる。それでも残ってくれるスタッフがいて、代替わりもしながら、井筒組は続いている。また、井筒組から育った奴が、新しい作品を作るようになっていく。初めて京都の撮影所で映画を撮ることになったときは、撮影所のいちばん奥のスタッフルームに「井筒組」と名札を付けられて、あれはうれしかったなぁ。
松本 監督が何歳の頃ですか?
井筒 それこそ、『二代目はクリスチャン』を撮っていた32歳の頃。『無頼』の主人公が一家を構えたのと同じような年頃だった。撮影所のスタッフルームは、手前からベテラン監督の名前が順に並んでいて、いちばん手前が『博奕打ち 総長賭博』(68年)などを撮った山下耕作監督の山下組ですよ。井筒組はいちばん奥で広い部屋だったけど、冷蔵庫には何も入ってなかった。それで、若い衆、助監督たちに「山下組」にたくさん並んでいた酒をこっそり持ってこさせた。ドロボーだ(笑)。
松本 差し入れの日本酒が並んでいたんですね(笑)。
井筒 祝クランクイン『最後の博徒』とか書いてあるわけですよ。でもね、次の日あっさりとバレてね。山下監督は当時は「撮影所の将軍」と呼ばれていた人物。その山下監督が「足りないよな」と言って一升瓶を持って、井筒組に来てくれたんですよ。粋だったんだよ、映画業界も。「井筒くん、これから頑張って。僕はもうすぐ上がるから」と言い残して去っていった。将軍に対して、こちらはもう最敬礼ですよ。
──いい話ですねぇ。
松本 憧れていた深作監督と一緒に仕事をする機会はなかったんですか?
井筒 深作監督の現場は、基本的に東映の社員スタッフじゃないと就けなかったからね。フリーの助監督は雇っても1~2名だったんじゃないかな。それこそ、非正規雇用だよ。深作監督の名前も、撮影所にあった。夏の暑い盛りに大声で演出していたら、急に現場が静かになったので「あれ?」と思ったら、深作監督が現場の隅から見てたんだよ。「暑いと思って、いろいろ置いといたよ。ビールもな」と言って、スッと去っていった。懐かしいなぁ。
──それで、深作監督の実録ヤクザ映画『北陸代理戦争』(77年)の名シーンを、『無頼』の中でオマージュしているんですね。
井筒 そう。『仁義なき戦い』も好きだし、『北陸代理戦争』も好き。今度のストーリーにも関連づけて、絶対に入れたろうと思った(笑)。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事