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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『麒麟がくる』で描かれない家康の“脱糞伝説”

『麒麟がくる』一方その頃、徳川家康はうんこを漏らしていた!? 歴史に残る“脱糞伝説”を紐解く

大河ドラマで脱糞伝説はどう描かれるのか

 脱糞伝説は現代においてもしぶとく生き続けています。大河ドラマでも『おんな城主直虎(2017)』では、家康の脱糞シーンこそないにせよ(当たり前か)、脱糞の語がナレーションされてしまいました。この時、家康を演じていたのは阿部サダヲさん。ナレーションとはいえ脱糞伝説の映像化は、大河史上初ともいわれますがていましたが、今年の大河はどうなるのでしょうか……『麒麟がくる』で家康を演じる風間俊介さんはジャニーズ所属ですからね……。色んな意味で不安です。

 ちなみに、徳川家康には三方ヶ原での大敗を生涯忘れないよう、敗戦時の苦渋に満ちた自らの表情を絵に描かせたという能書き付きの通称「しかみ像」なる肖像画もあります。これについては『おんな城主直虎』でも(ほぼ)映像化されました。

『麒麟がくる』一方その頃、徳川家康はうんこを漏らしていた!? 歴史に残る脱糞伝説を紐解くの画像3
徳川家康三方ヶ原戦役画像(徳川美術館所蔵)

 しかし、史実で見る「しかみ像」は江戸時代になってから描かれた絵であり、それを三方原での大敗に結びつけられるようになったのは、なんと20世紀になってからのこと。

 1939年(昭和11年)、尾張徳川家の当主だった徳川義親氏が、「三方原での手痛い敗戦を生涯忘れぬよう、自分のみじめな姿を家康が描かせた」と新聞の座談会で披露したのが確認できる最初だそうです(新愛知、現在の新愛知新聞社)。

 さらに1972年(昭和47年)頃のある展覧会にこの絵が出品されることになった時、徳川氏は同様のコメントをして、それが日本中に広まったようです。徳川義親氏は学者肌の人物で、もともとは幕末の越前藩主だった松平春嶽の子です。尾張徳川家の養子となったその経歴からも、同家の歴史をより詳しく知ろうとして、同家の一部で語り継がれていた「しかみ像」の伝説に行き当たったと推測されます。

 何度も語っているところから、記者に面白い話をしようというサービス心でクチが滑ったのではなく、徳川御三家の筆頭である尾張徳川家にはそういう伝説が本当に語り継がれていたのであろうと筆者は考えます。

 徳川家康のような並外れた偉人にとって、人生とはつねに2つあるようなものです。ひとつは「史実の人生」、もう一つは「伝説化された人生」なのですが、家康の場合は、後者の「伝説化された人生」が強すぎて、様々な逸話・設定を押し付けられているような感がありますね。家康が負わされているのは圧倒的な苦労人のキャラであり、脱糞というのは最悪の苦労の象徴なのでしょう。徳川家康にとって「三方ヶ原の戦い」の惨敗は文字通り「運命的な敗北」となったのでした。

 家康本人が自分の脱糞伝説について知ってしまったら、怒り狂うような気がしてなりません。ちなみに脱糞だけでなく、失禁伝説も家康にはあるのですが、それはまた別の機会に。

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 11:58
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