アニメーター薄給問題の根源がわかる? 高畑勲、宮崎駿も闘った「東映動画」労使対立の真相と正史
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大塚康生、高畑勲、宮崎駿、幾原邦彦、細田守といったアニメーターや演出家を輩出したアニメーション制作会社であると同時に、『ドラゴンボールZ』など版権ビジネスに強い会社というイメージも強い東映動画(現・東映アニメーション)。労使双方の裁判準備資料までを掘り起こし、関係者インタビューで肉付けしながら記述された『東映動画史論 経営と創造の底流』(日本評論社)が先頃、出版された。これまで“定説”とされてきた東映動画の歴史/日本アニメ史に再考を迫り、今日のアニメーター薄給問題までつながる日本アニメ産業の商慣習や労使関係がいかに形成されてきたのかの一面を示す同書の著者・木村智哉氏に訊いた。
『太陽の王子ホルスの大冒険』は労働問題の映画か?
――そもそも東映動画に関心を抱いたきっかけは?
木村 従来の日本のアニメーション史を語る上で“源流”として位置づけられていたからです。また、最初に短編を作り、長編、テレビシリーズを経てキャラクタービジネスを手がけるというのは、映像ビジネスのあり方として正統派、モデルケースとしていいかなと思ったんです――が、実際調べてみると特殊すぎるな、と。
――その特殊さの話はいったん横に置いておきますが、1968年公開の映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』に関して、アニメファンからのちのちまで高く評価される一方で、制作予算・スケジュール超過と、それに伴う懲罰的な人事、そして演出(監督)を務めた高畑勲ら主要スタッフのその後の退社について“定説”(伝説?)化した語りがされてきたと思います。本書ではそれは単純化しすぎではないかというスタンスで書かれていますよね。
木村 「高畑勲らが当時携わっていた労働組合運動の映画なのだ」といった単純な反映論的見方がありますが――私も動画労組を調べようと思った当初の動機のひとつもそこにあったのですが――、実際に当時の労組の資料を漁っていくと地道な賃金交渉や職場の問題の洗い出しの記録がほとんどで、作品論の話はほぼないんですね。そもそも東映動画の現場の人は「企画を取り仕切っているのは会社」という意識が強く、「労組の思想や方針を映画に反映させる」なんてことは成り立ちようがない。
ただ、そうは言っても、現場でアニメを集団制作しているスタッフが持つ「創造的な集団とは、いかにあるべきか?」といった問題意識が表れ出てくる瞬間はある。それを解決するために労働運動を行うことと、映画の中で集団をいかに描くかに取り組むことは、共に避けがたいことだったのだと思います。運動が表現を規定したり、表現意欲が運動を牽引したりするのではなく、両者が絡み合って存在していた。
当時の東映動画は長編映画の制作にほぼ専念していた時代からテレビシリーズも手がける時代に入り、スタッフがさまざまな作品に分散したため、一体感が得がたくなっていました。さらに、スポンサーの動向によって受注(=仕事の量や経営状況)が左右される不安定さを抱えたテレビシリーズ制作に対応するために、固定費のかかる社員アニメーターを多数抱えることは難しくなっていた。仕事量に応じて報酬が支払われる「契約者」(個人事業主としてのアニメーターなどと東映動画が契約する形態)が増え、就業形態もばらけていました。また、東映動画からの独立者が設立した下請けプロダクションに発注するようにもなっています。その中でいかに創造的な集団制作がありうるのか? そういった問題意識が先にあって、『太陽の王子』のスタッフたちの取り組みがあった。それがわかってくると、膨大な組合資料の読み解き方が見え始め、東映動画での働き方と作品制作への向き合い方との関連がクリアに見えてきました。今では作品が内包する複雑さに対して、当初抱いていた“読み”のほうが貧しかったのではないかと思っています。現実の歴史のほうが、もっと豊かだった。
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