大人気ぺこぱ、”誰も傷つけないツッコミ”の本質を元芸人が分析! 『M1』優勝の鍵・シュウペイの覚せい
#お笑い #ぺこぱ #お笑い第7世代 #M1
誰も傷つけないツッコミの時代性
その答えは……ならない。元芸人目線で分析すると、理由は2つある。
ひとつめは先述もしたが、「現在の社会に適している」という点だ。
ただ笑いの質が今の若者にウケているとか、テレビの流行りにのっているという意味ではなく、笑いとは関係の無い部分が時代に合っているのだ。
誰もが傷つきやすく、誰もが傷つけやすいこの時代に、誰も傷つけない漫才というのは需要と供給が完璧にマッチしているといっても過言ではないだろう。
ネットで『ぺこぱ』についての感想を調べると「ネタが面白い」よりも、「好き」という意見が多い。
ここからは憶測だが、毎日の仕事や生活の中で、自分の発言が他者から否定されたり、怒られることは日常茶飯事だ。ボケはそんな”否定される人間”の代表格であり、視聴者は自分をシュウペイと重ね、どんな発言にも決して否定せず、むしろポジティブに変換する松陰寺(太勇)のツッコミによって心の疲れを浄化しているのではないかと僕は思う。
ネタそのものよりも、2人の人間性が好きだったり、漫才に癒されると感じる人が多いのは、それが理由だろう。
この”全肯定”を育児に応用し、子どもがやることを否定しない”ぺこぱ流育児”というものを開発した人もいるほどだ。
そして一見、否定しないだけのツッコミは、誰でも思いつき、簡単に出来そうな風に見えるが、この”ノリ突っ込まないボケ”というのは実は奥が深い。注視してみると、時折二段構えになっていて、この時こそ『ぺこぱ』の力が発揮されている。
『M-1グランプリ2019』決勝で披露した「タクシー運転手になってみたい」というテーマの漫才を例にして紐解いてみよう。
シュウペイがタクシー運転手になりたいといい、それに対して松陰寺が客になるというネタ。
漫才コントに入って一発目のボケは、タクシー待ちをしている松陰寺が「ヘイ!タクシー」と言って手を上げる。シュウペイは停まると思いきや、そのまま松陰寺へぶつかる。
かなりオーソドックスなボケで、一見すると素人が思いつきそうなボケに見えるが、『ぺこぱ』の場合、ボケはシンプルであれば、シンプルであるほどいい。
なぜなら観客がボケを聞くと同時にツッコミフレーズを思い描かないといけないからだ。その観客が思い浮かべたツッコミをポジティブに変換していくことで、笑いを起こし、『ぺこぱ』の癒しワールドへ誘うのだ。
ほとんどの人が『どこ見て運転してんだよ!』というツッコミを思い浮かべる。
しかし松陰寺は『どこ見て運転してんだよ!って言える時点で無事で良かった』と、運転手への怒りというネガティブな言葉をポジティブな発想に転換する。さらに『そうだろ?無事であることが何より大切なんだ』と観客に問いかけるのだ。
これこそが『ぺこぱ』が愛される最大の要因である。
ボケに突っ込んで終わるではなく、自分自身を見つめなおし、どんなときもポジティブでいある松陰寺に、観客は何か感じ始める。
このあと、もう一度ぶつかるというボケがあり、それに対しては『2回もぶつかるってことは、俺が車道側に立っていたのかもしれない』というノリ突っ込み。これも”もしかしたら自分がわるかったのかもしれない”という反省に変換するのだ。たった2つのツッコミで2つの大切なことに気付かされる。
そして『もう、誰かのせいにするのはやめよう』というセリフを松陰寺が足す。このセリフにハっとしてしまう人もいるはずだ。
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