『麒麟がくる』光秀、信長を差し置いて架空キャラが活躍しすぎ!? 大河ドラマ“史実”と“フィクション”のバランス問題を考える
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大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)が、ますます盛り上がりを見せている。ドラマをより深く楽しむため、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が劇中では描ききれない歴史の裏側を紐解く──。前回はコチラ
今回は少し趣向を変えまして、NHK「大河ドラマ」におけるフィクション・架空のキャラクターというテーマでお送りしたいと思います。
視聴者による『麒麟がくる』の不満点で一番多いのは、東庵先生(堺正章さん)、お駒ちゃん(門脇麦さん)、伊呂波太夫(尾野真千子さん)の架空キャラの3人が実在の人物以上に活躍しすぎ問題のようですね。
先週の放送で、堺の今井宗久の茶会の招待客リストに、千利休、筒井順慶などビッグネームにならんで「こま」という平仮名が出てきたときは、筆者も二度見してしまいました。
脚本家さんにしてみれば、架空キャラは歴史考証者から「●●はこんな事言わない!」とツッコミを入れられる危険性もなく、のびのびと展開できるのはわかるのですけれどもね……。
日本史は、世界史に比べ、情報が限定されています。つまり、いくら有名であっても、残された情報はあまり多くなく、ドラマを作る上でも「今回の誰それは、こういうキャラで!」というタイプの読み替えが可能なほど、記録が豊富にある人物はとても少ないのです。
しかし、今回の『麒麟がくる』に関していえば、織田信長や羽柴(豊臣)秀吉とその周辺という、日本史上のスターだらけで、情報も逸話もてんこ盛りに残されているはず。それなのに、なぜ架空のキャラばかりが深堀りされてるの? と思う方が出てきてもそれは仕方ありません。
今回の「大河」では、やけに若々しい柴田勝家(安藤政信さん)や徳川家康(風間俊介さん)などビジュアル面での“新解釈”はあっても、彼らの内面までにはあまり踏み込まれていない印象は確かにありますね。情報が足りない。そういうもどかしさがあります。
それにくらべて最近、物語が深堀りされすぎているお駒ちゃんたちが調子に乗って見えるのは致し方ないでしょう(笑)。
丸薬こねてるだけのはずが、征夷大将軍をも手のひらの上で転がすようになったお駒ちゃん。それからただの町医者の東庵先生が、なぜか帝と双六仲間だったりする展開には、さすがに「ヒエッ」となりました。
「ヒエッ」といえば、東庵先生と双六している帝の頭が“愛のむきだし”状態だったのもたまげましたねぇ。帝はその在位中、守るべきエチケットに縛られてしんどいものなのです。だから史実の帝は早めに退位したがる傾向があるわけですが、中でも大変だったのが「頭をいかなる時でも剥き出しにしてはいけない」というルールです。睡眠用の冠とか、食事専用の冠などもあったのですよ。
「大河ドラマ」はフィクションなので仕方ないところはありますが、これまでの「大河~」で真っ昼間から頭剥き出しの帝って、描かれたことあったかな……。
帝に関していえば、丸出し頭は、パンツ一丁で外に出るどころか、フルチンと同じようなものですからね。というか、東庵先生を前にあれだけ帝がさらけ出せるということは、お2人が非常にねんごろである。もっというとデキていても仕方ないわけですよね……。ヒエッ。
こういうことを話していると、担当編集者さんが「大河は究極のナマモノなんですね!」と名言を発せられました。ナマモノというのは、二次創作のBLにおける実在の男性同士(芸能人など)をカップルに見立てて楽しむジャンルだそうです。ナマモノの魅力は、実在だからこそ、心をいれこめる点なのだそうです。
BLではないけれど、「大河ドラマ」の楽しさも、煎じ詰めればそういうところに尽きる気はします。実在した歴史上の人物をどう解釈し、物語を作るのかという面白さですよね。
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