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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > フワちゃんに学ぶテレビの“隙間”を見る方法

「私が選ぶっていうスタンスでやりたいなって思います」 フワちゃんに学ぶ、テレビの“隙間”を見る方法

フワちゃん「前例を見ないことをやっていきたいのに、すごい鈴木奈々の背中が見える」メ

 話は戻って、テレビの「意味探し」に対するマツコの批判。同様の発言は、7日の『マツコ会議』(日本テレビ系)でも聞かれた。

 この日のゲストはフワちゃんだった。彼女に対するマツコの期待値は高い。「テレビがいま恐れているもの」はいい加減さや意味のなさだと喝破するマツコは、その「恐れ」を乗り越える存在として彼女を評価する。

「(テレビは)すべてに理由づけをして意味を探して。それがたとえ1分のコーナーだったとしても、そこに意味を作ろうとするじゃん。フワちゃんってそれを軽々しく破壊してくれる人だと思うんだよね」

 なるほど、テレビ番組の中で自由に動き回り、番組が求めるコードを逸脱しているようにも見えるフワちゃんは、テレビの「意味探し」を壊しているのかもしれない。今年の秋に放送された『オールスター感謝祭』(TBS系)で、リモート先のスタジオで自由にやっていた彼女を思い出す。ただ、マツコの主張はさらに先に切り込む。

「新しい時代を作ってくれるかもしれなかった人を、過去のテレビの通り一辺倒のものにただ組み込んでるだけっていうのが、違うなぁと思ってみてんだよね」

 今のテレビの中で自由にやるのではなく、今のテレビの枠組みすらをも壊す自由。マツコはそれをフワちゃんに期待しているようだ。そんなマツコの発言に対するフワちゃんの応答がふるっていた。

「最高の分析じゃん。前例を見ないことをやっていきたいのに、すごい鈴木奈々の背中が見える」

 自分が現在テレビで歩まされているルートを、「鈴木奈々の背中」という言葉でたとえるフワちゃん。彼女は時折こんな風に、テレビに対する批評芸を見せる。なるほど、その姿はマツコにも重なる。

 他方で、フワちゃんはこうも語った。夢だったテレビの世界に出られるようになったのはすごく嬉しい。でも、テレビにしがみつこうとは思っていない。長く生き残ろうという意気込みがあるわけではない。もともとコロナ禍がなければテレビ出演をいったん辞めて海外留学をする予定だった。英語を磨いて海外で売れたいという気持ちもある。これからどういう方向に行くかは、どちらにも舵を切れるようにしておきたい。だから――

「私が選ぶっていうスタンスでやりたいなって思います」

 マツコのフワちゃんへの期待は高い。けれど、フワちゃんはそんな期待からも自由であろうとしているように見えた。「意味から自由なテレビ」という意味の囲い込みからも、身を振りほどこうとしているように見えた。いや、これはこれでまた、私のフワちゃんへの勝手な期待なのかもしれないけれど。

 そして、そんなフワちゃんを見ながら、マツコの最近の発言に対する喉に小骨が引っかかったような違和感について改めて考える。

 個人的には、別にテレビを見てる側はテレビの伝えようとしている意味をそのまま受け取るわけでもない。たとえば、最近多くの番組で面白くもほっこりする親子愛を披露している藤岡弘、を見ながら、子どもの芸能活動を強くプッシュする姿勢は彼の武士道精神とどのように矛盾せず両立しているのかを考えたりする。あるいは、Amazon PrimeのCMへの出演がなぜか“炎上”した国際政治学者の三浦瑠麗が、日本テレビ系の番組に最近立て続けに出演し、討論番組などで見せる顔とは違う家族思いの一面を披露しているのを見て、日テレの一部の番組のキャスティングは“恩を売る”感じを全然隠してなくていつもながらすごいな、と思ったりする。

 説明しがち、意味を固定しがちなテレビかもしれないけれど、見る側が想像で埋められる“隙間”はそこかしこにある。どういう意味づけをしながらテレビを見るかは、それこそ、私が選ぶっていうスタンスでやりたいなって思います。

飲用てれび(テレビウォッチャー)

関西在住のテレビウォッチャー。

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Twitter:@inyou_te

いんようてれび

最終更新:2021/09/21 11:15
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