「私が選ぶっていうスタンスでやりたいなって思います」 フワちゃんに学ぶ、テレビの“隙間”を見る方法
#テレビ #マツコ・デラックス #星野源 #テレビ日記 #フワちゃん
テレビウォッチャーの飲用てれびさんが、先週(11月1~7日)に見たテレビの気になる発言をピックアップします。
星野源「いまテレビの中で、ダンスだけを5分ぐらい見るってないでしょ?」
テレビのあり方に対してもともと批判的なコメントを繰り返してきたマツコ・デラックスが、コロナによる自粛期間を挟んで、その舌鋒を一層鋭くしているという印象がある。たとえば『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系、2020年9月21日)では、番組収録が中断された時期に「たどりついた結論があるのよ」と前置きし、次のように語った。
「意味を探してる時点でおっさんおばちゃんなのよ。いまのテレビって意味を探して意味をひけらかす割には大したことやってないじゃない。若い子はもっと勢いだとか空気感を見てるのよ。でも私たちね、水垢のようにこびりついてるのよ、意味探しが」
テレビは意味を探したがる。そんなテレビのあり方が、若い世代とズレているのではないか。だからテレビはそっぽを向かれているのではないか。マツコは同様のコメントを、『5時に夢中!』(TOKYO MX)や『マツコ会議』(日本テレビ系)などでも、これまで以上に繰り返している。私はその執拗な発言になんだか喉に小骨が引っかかったような違和感を覚えながらも、これもテレビを愛してきたマツコの危機感の現れなのだろうか、と受け止めたりしている。
さて、そんな中(ってどんな中だ)、3日に『おげんさんといっしょ』(NHK総合)が放送された。不定期放送の当番組は、星野源が「おげんさん」に扮し、「お父さん」役の高畑充希や娘の「隆子」役の藤井隆ら疑似家族とともにお送りする音楽ショーだ。緊急事態宣言の全国的な解除が宣言された日に放送された前回は、『おげんさんと(ほぼ)いっしょ』と題しリモートと人形劇を組み合わせた番組となっていたが、今回は約1年ぶりに出演者がスタジオに参集しての放送となった。
ここでも、“テレビ”と“意味”をめぐる発言が聞かれた。出演者のディスタンスを保つため、これまで以上に大きく組まれたおげんさん家のセット。その縁側に座った星野が語りだす。彼はあるとき、1963年にNHKで放送された『夢であいましょう』の映像を見たらしい。そして、そこに坂本九の「上を向いて歩こう」をバックにただただダンスを見せるシーンがあったことに、感涙したのだという。
「なんて豊かなんだと思って。いまテレビの中で、ダンスだけを5分ぐらい見るってないでしょ? なかなかないんだけど、この頃はこれをいろんな家庭だったり職場だったりで、みんなで見て楽しんでたっていう。なんかその様が、すごい豊かだなと思って」
いま同じことをやれるとしたら、『おげんさんといっしょ』しかないのでは。そんな星野の提案で今回、番組内でダンスをただただ見る時間が実現した。ダンスグループのELEVENPLAYが、星野の楽曲をアレンジした曲にあわせて踊る。音と身体、そしてセットと照明とカメラワーク。画面を構成するのは非言語的なメッセージのみ。
約5分の舞台を見終えた高畑が語る。
「いまテレビ見てるとね、全部説明してくれるじゃない、いろんなことを。全部教えてもらえちゃうけど、ダンスだけ見るって、音楽もだけど、それぞれが見ながらいろんなことを想像して隙間を埋めれるじゃない。見る人の数だけ思うことが違ったんだなと思って」
もちろん、テレビは説明で埋め尽くされた番組ばかりになったわけではない。NHK Eテレなどでは、オーケストラとか文楽とか囲碁とか、意味を読み取れない者にはあまり意味がわからない映像がずっと流れる時間がある。舞台芸術が特に説明なく披露される番組もある。けれど、それはほとんどの人が見ない。テレビの説明過多に文句を言いながらも、私を含め視聴者の多くはチャンネルを合わせない。
だからこそ、メジャーな芸能人が出ている番組に、説明を極力排した時間があることに意味があるのだろう。バックグラウンドが異なる多くの人たちをテレビの前に集め、「見る人の数だけ思うことが違う」時間を作る。そんなところに、特段説明を加えなくても視聴者がチャンネルを合わせるメジャーな芸能人のひとつの役割があるのかもしれない。
そんなことを想像しながら、説明してくれないテレビの時間の“隙間”を埋めた。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事