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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『麒麟がくる』信長の妻・帰蝶の謎多き晩年

『麒麟がくる』川口春奈5カ月ぶりの再登場! 織田信長の妻・帰蝶の死亡説をめぐる諸説を紐解く

秀吉が帰蝶を“めかけ”扱い? 過去帳に残された謎

『麒麟がくる』川口春奈5カ月ぶりの再登場! 織田信長の妻・帰蝶の死亡説をめぐる諸説を紐解くの画像1
愛知県清須市の清洲公園にある濃姫像(写真ACより)

 安土城の敷地に織田信長は菩提寺(編註:先祖の位牌を納める寺)として、「摠見寺(そうけんじ)」という寺院を建てていました。幕末に建物の大部分が消失する大火事で燃え落ちましたが、現在では仮本堂などが作られ「安土摠見寺」として、一般公開も時々していますね。

 この安土摠見寺所蔵の『泰巌相公縁会名簿』つまり、信長関係者の過去帳があり、そこには「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七年壬子七月九日 信長公御台」と書いてあります。注目ポイントは、「信長公御台」つまり信長の正室として、「養華院~」という法名の女性が弔われたということ。信長の正室といえば、帰蝶であろうという推論です。ちなみに『泰巌~』は江戸時代に成立しました。

 ただ、秀吉が信長を弔うために建てた大徳寺の過去帳の類(『大仙院文書所収養華院七佛事記』など)では、「養華院」は信長の「御台」ではなく「寵妾」とあります。

 理由はわかりません。推論としては、帰蝶の影響力が、その晩年になればなるほど、織田家の中で落ちていったことを物語っているのかもしれませんね。史実の帰蝶は、もともと表に出たがる女性ではなかったようですから、記録もほとんど残っていないわけですし。

 しかし「養華院」を帰蝶本人だと仮定して、信長亡き後の人間関係を考えると、面白いのです。織田信長と信忠亡き後、信忠の弟たちを飛び越え、幼い信長の孫(信忠の子)を跡継ぎに持ち出して、織田家の乗っ取りをはかった秀吉に、帰蝶は好意的には接していません。

 だからこそ、秀吉が建立した寺では、帰蝶への仕返しとして「御台」ではなく「寵妾」の扱いで弔われているのかな、と。「子どもも産んでいない正室なんか、側室同然じゃ」と言いたかったのかも。まぁ、秀吉の正室・おねもそうなんですが……。

 筆者の考える帰蝶は、クールな女性です。織田家に頼れる男性がいなくなっても、嫁いでくる時に斎藤道三がもたせてくれた化粧料=女性の私有財産によって生活は死ぬまで保証されています。ですから、織田家のトラブルに顔をつっこんでヤケドするより、影響力など低下しても、安全に静かに暮らすことを選んだのではないかな、と。『麒麟~』の帰蝶さまにもドラマの中で、長生きしていただきたいものですね。

堀江宏樹(作家/歴史エッセイスト)

1977年、大阪府生まれ。作家・歴史エッセイスト。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業。日本・世界を問わず歴史のおもしろさを拾い上げる作風で幅広いファン層をもつ。原案監修をつとめるマンガ『La maquilleuse(ラ・マキユーズ)~ヴェルサイユの化粧師~』が無料公開中(KADOKAWA)。ほかの著書に『偉人の年収』(イースト・プレス)、『本当は怖い江戸徳川史』(三笠書房)など。最新刊は『日本史 不適切にもほどがある話』(三笠書房)。

Twitter:@horiehiroki

ほりえひろき

最終更新:2023/02/21 12:05
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