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サイゾー創刊編集長が作詞提供

沖縄電子少女彩が語る「アイドルとミュージシャン」の狭間と非常階段ら大物バンドとのコラボ

「沖縄って、のどかな土地だったんだなあ」

 

――沖縄音楽については、どこかで習ったりしたんですか?

彩 いや、たぶん、もともと自分に根付いていたんじゃないですかね。実は、Tincyに入ってから琉球音階の仕組みも教えてもらったんですよ。つまり「ドレミファソラシド」から「レ」と「ラ」を抜けば琉球音階になるっていう。沖縄で生まれ育ったのにそれを知らなかったことにショックを受けつつ、そこからさらに沖縄音楽が好きになりましたね。

――ボーカルにも沖縄民謡的な響きがありますが、それも独学で?

彩 誰かに教えてもらったわけではないです。耳で聴いてマネして歌っている感じなので、沖縄の血なんですかね(笑)。

――曲作りに関しては?

彩 ほとんど直感です。というか、これも誰かに教わったわけでもないし、自分でもよくわかっていないんですよ(笑)。その時々に自分の周りで鳴っていた音楽から無意識的に刺激を受けていて、それが勝手にアウトプットされるみたいな感じのかな。だから「いつの間にかテクノっぽい曲になってたなあ」とか思うこともあって。私も最終的にどんな曲ができるか予想がつかなかったりするし、それが楽しくもあります。

――作詞もいきなりやってみた感じなんですか?

彩 やっぱり勉強はしていないんですけど、私は吉野弘さんの詩が大好きで。吉野さんの詩は生や自然をモチーフにしているところがあって、特に「みずすまし」とか「奈々子に」がお気に入りなんですけど、そこから影響を受けているかもしれないです。

――『NEO SAYA』に収録されている「幼い日の記憶」の歌詞は、彩さんのおばあさんの戦争体験がもとになっているそうですね。

「幼い日の記憶」MV

彩 はい。おばあちゃんから「人の上を走って逃げたことが一番強く記憶に残っている」という話を聞かせてもらって。私はそれを体験してないし、人の上を走って逃げなきゃいけないという状況も想像できないんですけど、その悲惨さや恐ろしさというものは語り継がなきゃいけないなと思いました。

――あるいは2ndアルバム『黒の天使』には「崇元寺~Gusuku Nu Nkashi~」という曲が収録されていますが、この崇元寺は沖縄戦で焼けてしまったお寺なんですよね。

「崇元寺~Gusuku Nu Nkashi~」MV

彩 そうです。崇元寺は、今は公園になっているんですけど、真ん中に大きなガジュマルの木がドーンと生えていて。すごく好きな場所で、沖縄に住んでいたときはよく行ってました。

――彩さんは2018年9月から活動拠点を東京に移していますが、それに伴い沖縄の見え方が変わったりしました?

彩 「沖縄って、のどかな土地だったんだなあ」って思いましたね。やっぱり東京は大都会で、時間の流れ方も沖縄と比べて早く感じますし。でも、私はいまだに沖縄時間で生きているところがあるので、東京で暮らしていてもルーズなところは変わらないです(笑)。

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