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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム >  パンドラ映画館  > 『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』レビュー
深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】Vol.607

“裏切り者”扱いされたミュージシャンの回顧録青春の終焉『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』

巣ごもりがもたらした幸福な時間

ボブ・ディランの欧米ツアーに同行し、ロビーたちの運命は大きく変わる。

 1960年代後半のボブ・ディランは、フォークからエレキロックへの移行期にあった。新しいスタイルに変身したディランは、行く先々のライブ会場でブーイングを浴びる。あまりに激しい野次の嵐に、リヴォンの心は折れてしまい、「メキシコ湾の油田で働く」とロビーに言い残し、去っていく。「ザ・ホークス」の最古参メンバーだったリヴォンとの、つらい別れだった。

 1966年、頼みの綱だったディランがバイク事故を起こし、ツアーやレコーディングの予定はすべて白紙となってしまう。だが、災転じて福となす。ディランが静養していたウッドストックにロビーたちも移り住み、ピンク色のペンキに塗られた一軒家で過ごすことになる。伝説の始まりだった。観客の誰もいない一軒家の地下室で、ロビーたちは時間が経つのを忘れてセッションに明け暮れた。誰かが新曲のアイデアを閃けば、他のメンバーが演奏することで曲を完成させた。ディランも毎日のように現れ、セッションに加わった。この時期の演奏は『ザ・ベースメント・テープス』と呼ばれ、名曲「アイ・シャル・ビー・リリースト」もこの地下室で生まれている。

 流行に左右されることなく、自分たちの求める理想の音楽、自身のアイデンティティーとなっているものを音楽で探究し続ける毎日だった。地下室でのセッションは噂となり、ロビーたちのレコードデビューがついに決まる。ロビーは実家に帰っていたリヴォンを呼び戻す。この頃のリヴォンの写真が残っているが、仲間の元に戻れたことをリヴォンは本当に喜んでいる様子が伝わってくる。ロビーたちは多くのアーティストたちが集ったウッドストックでも唯一無二のバンドとして知られ、“ザ・バンド”と呼ばれるようになっていた。ザ・バンドのデビューアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は、1968年にリリース。アルバムのジャケットには、ディランが描いた水彩イラストが使われた。そのイラストには、彼らが無邪気な子どものように楽器と戯れる姿が描かれている。

 ザ・バンドのデビュー作『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』は、不思議なアルバムだ。新人バンドのデビュー作なのに、「ザ・ウェイト」や「火の車」など老成したバンドのように、渋く練り上げられた曲ばかり入っている。カントリー、ロカビリー、R&B、ゴスペルなど、アメリカのルーツミュージックをベースにした彼らの音楽は、発売された時点ですでに古臭く、それゆえに逆に新鮮だった。今では「アメリカーナ」と呼ばれるジャンルを、ザ・バンドは確立したのだ。デビューアルバムは高く評価され、ボブ・ディランのバックバンドのイメージが強かったザ・バンドは、ロック界の最前線へ躍り出ることになる。

 だが、同時にウッドストックで過ごした楽園のような日々も終わりを告げる。実の兄弟同然に仲の良かったメンバーから最初に距離を置くようになったのは、ロビーだった。リックやリチャードは酒に酔って車を大破させるなど、ロックミュージシャンらしい無軌道な生活を繰り返した。リヴォンはヘロインに手を出し、薬物中毒となってしまう。妻ドミニックとの間に子どもが誕生していたロビーは、メンバーが起こすトラブルに家族を巻き込むわけにはいかなかった。

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