芦田愛菜が演じる『麒麟がくる』細川ガラシャ“美人説”はどこからきたのか? その歴史を紐解く
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ガラシャ=美人説は読者ウケを狙っただけ?
「イエズス会の関係者によるガラシャが美女だったという証言はどこかにあったはず」と思う読者もいるかもしれません。しかし、それを書いたのはガラシャが亡くなってから18年後、1618年生まれのジャン・クラッセなのですね。
「ガラシャは夫に反抗的な妻だったが、彼女があまりに美しかったので細川忠興は彼女と離婚できなかった」
という、読者もどこかで読んだかもしれないストーリーを最初に書いたイエズス会関係者は、このジャン・クラッセなのです。
ちなみに日本でガラシャの設定が美女になったのは、江戸時代中期の歴史小説『明智軍記』が最初といわれます。当時の鎖国中で、宗教関係の書物の輸入はとくに禁止ですから、イエズス会関係者であるジャン・クラッセの書物に影響を受けたとは考えにくく、ガラシャ=美人説が日本で生まれた理由はわかりません。
ただ、クラッセがガラシャを美女にしたのは、読者ウケを狙ってのことなのではないかと邪推してしまいます。「信仰心あつき悲劇の美女」という、当時のヨーロッパの読者層から好まれやすい設定にして、同情を集めたかったのだと推察されます。おかげでジャン・クラッセの著作『日本西教史』はヨーロッパでも長きにわたって読まれることになりました。
あえて問いますが、生前“なぜ”ガラシャは美女だといわれなかったのでしょうか? 宣教師は女性の表面的な美には興味がなかったからでしょうか。現代でも男性がとくに親しくもない女性に「かわいいね」「きれいだね」などというとセクハラになる可能性がありますが、そういう類の用心をしたからでしょうか。
いずれも違います。
後にガラシャの洗礼にもかかわることになる、グネッキ・ソルディ・オルガンティーノというイエズス会関係者がいます。彼は司祭ですから、洗礼を授けることができます。
このオルガンティーノの報告(1588年3月)では、ガラシャの「侍女頭」で、彼女よりも先に洗礼を受け、クリスチャンになったルイザは「美貌の持ち主」だと明記されているのです(ちなみにオルガンティーノによると細川忠興は、ルイザに強い関心を示していたとか)。
ううむ、当時のヨーロッパ人宣教師の目にも、ちゃんと美しいアジア人のことはそうだと「わかる」ようですね。ルイザの容貌は美しいとされるのに、あくまで知性しか褒められないガラシャ。彼女は、本当に美女ではなかったのでしょうか?
しかし、それも違うと筆者は考えています。次回に続きます。
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