トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > エンタメ > テレビ  > 『チコちゃん』キョエちゃん=いきものがかり!?

『チコちゃんに叱られる!』キョエちゃん、“いきものがかり・吉岡聖恵説”に初言及しネットがザワつく!?

『チコちゃんに叱られる!』キョエちゃん、いきものがかり・吉岡聖恵説に初言及しネットがザワつく!?の画像1
『チコちゃんに叱られる!』(NHK)

 9月18日放送『チコちゃんに叱られる!』(NHK)のゲストは、初出演の荻野目洋子と溝端淳平。ピンクのトップスを着て登場した荻野目は、「今日はチコちゃん(チコちゃんの服もピンク)に寄せてみたんです」と、なかなかに気合が入っている様子。それにしても、この人の容姿は30年くらい前からほとんど変わっていない。びっくりだ。

琉球王国の子孫を追うとタコのウインナーからキャラ弁に行き着く?

 この日最初のテーマは「なぜお弁当にタコのウインナーが入っている?」という疑問。確かに定番だけれど、そういえばなぜなのだろう。リンゴをウサギにするのと同じで、ただの遊び心ではないのか? チコちゃんが発表した答えは「王家の次男が少食だったから」だった。

 詳しく教えてくれるのは、『きょうの料理』(NHK)にも講師として出演したことのある料理人・尚承(しょうつぐる)先生である。曰く、タコのウインナーを生み出したのは先生のお母さんだそう。

「子どもの頃、食が細かったんで僕のためにタコウインナーを作ってくれたんです」(承)

 ここで突然始まったのは『ファミリーヒストリー』(NHK)を意識した、その名も「ファミリーチコトリー」。くるりのテーマソング「Remember me」や余貴美子のナレーションをそのまま引き継いだパロディで、クオリティは無駄に高い。自局のコンテンツに全力で乗っかる『チコちゃん』のやり方には脱帽だ。

「今回のゲストは、お弁当に欠かせないこの方です。……タコのウインナー」(余のナレーション)

「ファミリーチコトリー」はタコのウインナーを擬人化するつもりのようだ。

「今やお弁当の定番となったタコのウインナーですが、自身のルーツについてはほとんど知らないと言います。そこで今回はご本人を招き、番組が調べた家族の知られざるヒストリーを初めて見ていただきます。タコのウインナーのファミリーチコトリー」(余のナレーション)

 VTR隅のワイプには表情を全く変えないタコのウインナーの顔が。ワイプにウインナーを映すのはこの番組くらいだと思う。

 彼(タコのウインナー)のルーツを探ると、沖縄に辿り着くらしい。そして、思わぬ人物へと行き着いた。男性の名前は、尚泰(しょうたい)。琉球王国最後の国王だ。タコのウインナーの3代前、つまり彼の曽祖父にあたる。

 1879年、廃藩置県によって琉球王国は沖縄県になった。尚泰は故郷を離れ、東京に移り住むことに。そんな最後の国王の孫にあたるのは、尚明(しょうあきら)。後の日本住宅公団の副総裁で、台所と食事スペースが一体となった日本独自の間取り、ダイニングキッチンを発明した人物である。明は1940年、運命の人に出会って結婚した。相手の女性の名前は宮城道子。穏やかな性格で料理が大好きなこの人こそ、後のタコのウインナーの母親である。

 その後、1945年に長男・卓が、1953年には次男・承が誕生。かつて王家だった一家は2人の男の子に恵まれた。しかし、幼稚園に通うようになった承はある問題を抱えていた。

「食べるのが嫌な子どもだったので、すごい食が細かったんですよね。モヤシさながらのガリガリの子どもだったんです」(承)

 どうすれば、楽しく食べられるのだろう? 道子は承の幼稚園のお弁当にいつも頭を悩ませた。そして、道子はお弁当にウインナーを入れることにする。当時のウインナーといえば赤いウインナーが主流。今のウインナーと違って皮が硬くツルツルで、お箸では掴みにくかった。悩んだ道子は、思い切った行動に出る。ウインナーの半分だけに切れ目を入れたのだ。そして、その状態で焼いてみた。すると切れ目がパッと開き、ウインナーがまるでタコみたいな形に! こうして1959年、道子はタコのウインナーを生み出した。誕生の経緯は、まさに偶然の産物だ。てっきり、メーカーが販売促進のために作った形だと思っていたが……。しかも、まさかタコウインナーの誕生に琉球王国・最後の国王の次男が関わっているとは思わなかった。

「私が次男で、三男がタコのウインナーということでしょう」(承)

 画面には5歳の頃の承の写真の横に、弁当箱に入ったタコのウインナーの写真が並んでいる。テロップで記されたのは「三男 タコ(当時0歳)」という紹介文だ。……っていうか、「三男 タコ」ってなんだよ。

 今ではすっかり定番となったタコのウインナーが全国へ広がっていった背景には、ある人物の存在があった。それは、道子の妹・朝子である。タコのウインナーにとって叔母にあたる女性だ。主婦の友社で料理記者の道に進んだ朝子は、1968年に料理雑誌「栄養と料理」の編集長に就任。さらに、テレビ番組『料理の鉄人』(フジテレビ系)の審査員としても活躍する。彼女が発する「おいしゅうございます」の言葉はまたたく間に浸透し、朝子……つまり、岸朝子は日本中で知られる存在となった。タコのウインナーを掘り下げると、あの岸朝子に繋がるなんて!

 朝子は色々なメディアを通じ、「タコのウインナーは私の姉の尚道子が生み出したものですよ」と発信した。朝子が幅広く活動する中でタコのウインナーは日本中に広まり、お弁当の定番になったというわけだ。一方、料理が大好きだった道子は、東京都の料理コンクールで見事優勝。雑誌やテレビから声がかかるようになり、『きょうの料理』(NHK)では家庭料理の講師を長年務めた。そして2002年、道子は82歳で他界する。美味しい料理を愛し、人に喜んでもらうことを愛し続けた人生だった。

 亡くなった後も道子の心は受け継がれている。子どもたちを喜ばせたタコのウインナーは両側に切れ目を入れたカニのウインナーへと発展。そして、そのスピリッツは現在のキャラ弁へ脈々と繋がった。「ファミリーチコトリー」は、今に至る琉球王国の家系図を改めて作り直しており、そこにはこう記してある。「タコ→カニ→キャラ弁」……って、おかしいだろ! しかも、VTRを見ながらタコのウインナーが涙を流してるし。一体、どういう技術力なのか?

 今回の「ファミリーチコトリー」は無駄に力作だった。なんだかんだ、タコのウインナーに感動してしまうとは不覚だ。『プロジェクトX』『ファミリーヒストリー』と次々にパロディし続けてきたこの番組、今度は何をパクるのだろう……?

123
ページ上部へ戻る

配給映画