急死した藤木孝さん、“ナベプロから干されたタレント第1号”の俳優人生
#本多圭 #ワタナベエンターテインメント #藤木孝
9月20日、俳優の藤木孝(本名、遠藤與士彦)さんが、東京・中野区の自宅で亡くなっていたことがわかった。享年80だった。「役者として続けていく自信がない」と書かれた遺書が見つかったことから、自殺と見られている。藤木さんは、大手芸能事務所「ワタナベエンターテインメント」(渡辺プロダクション・グループ)が“ナベプロ王国”と呼ばれた時代に、ナベプロから干されたタレント第1号だった。
東宝芸能学校卒業後、1959年に渡辺プロダクションに所属した藤木さんは、ロカビリー歌手としてデビューすると、“ツイスト男”としてブレイク。ロカビリー・ブームを牽引し、シングルレコード『24000のキス』が大ヒットを記録したが、その直後の62年、歌手引退を表明して、事務所の創業者である故・渡辺普社長の逆鱗に触れた。
「藤木さんは、当時ナベプロの社長だった渡辺さんの反対を押しきって歌手引退を発表。ナベプロを退社して、しばらく業界から干されました。ナベプロ第1号の“干されタレント“だと記憶しています」(古参の芸能マネジャー)
しかし、その後、今度は森進一がナベプロから独立。歌手仲間に「独立はオイシイよ」と勧められたことがきっかけだったが、やはり業界から干された。
「森の次は、小柳ルミ子が独立しました。事務所の反対を押し切って、当時売れないダンサーだった13歳年下の大澄賢也との交際を続け、独立後に結婚。個人事務所を設立したことで彼女も干されました」(芸能関係者)
“干されタレント”たちは、ナベプロの圧力によって一時民放に出演できなくなったが、藤木さんは、その後、松竹に入って、俳優として活動を再開。その後、幾つかの劇団を経て06年にフリーになると、ミュージカル俳優としても活躍。NHK大河ドラマ『太平記』や『新選組!』に出演したほか、民放ドラマでも存在感を発揮し、高い評価を受けていた。
最期は、皮肉にもナベプロ王国を追い落としたホリプロに所属していたが、コロナ禍のあおりを受け、仕事が激減。来年1月から上演が予定されているミュージカル『パレード』への出演が決まっていたが、9月20日に自宅で死亡しているところを発見された。
筆者は、「週刊ポスト」(小学館)の専属記者時代に、なぜナベプロから独立し、なぜ干されたのか、藤木さんに直接取材したことがあるが、藤木さんは多くを語らなかった。
自殺の理由はわかっていないが、高齢になっても仕事について考えざるを得なかった藤木さんの立場は、フリーランスの我々と酷似していて他人事とは思えない。改めて、藤木さんに合掌。
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