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満州引き揚げ者が「焼き餃子」を普及! 本場とは異なる“日本風中国料理”進化のヒミツ

『きょうの料理』のスターが教えた麻婆豆腐

 他方で、東北大学准教授で文化人類学が専門の川口幸大氏は、家庭向けの料理テキストなどをもとに、日本における中華料理の普及の仕方をこう分析する。

 「大正2年(1913年)に創刊された月刊誌『料理の友』を読むと、創刊当初は中華料理はほとんど登場せず、和食以外はほぼ洋食で占められていました。中華料理店の数も明治30年代(1897年~1906年)は東京に数軒しかなかったといわれる一方、洋食を出す店は200軒以上ありました。これは、日本がアジア諸国の中でいち早く近代化し、かつ日清戦争に勝利するなどしたことで、アジアを見下し、欧米に憧れるような価値観が社会に浸透していたからだと思います」

 しかし、大正末期から中華料理の紹介記事も増え始めていく。これは日本の中国進出に伴い、日本人の中国への関心の高まりと密接にかかわっていると川口氏は指摘する。

 「ただ、当時の中華料理の料理名は、漢字に中国語読みのルビが振られていただけで、しかもそのルビは北京語だけでなく広東語や閩南(ビンナン)語のほか、何語か判別できないものまで入り乱れていました。つまり、中華料理そのものに統一性がなく、料理人の出身地の料理がそのまま現地語で紹介されていたわけです」(川口氏)

 料理テキストにおける中華料理のフォーマットが固まってきたのも、やはり戦後からだ。

 「昭和32年(1957年)にNHKで放送が始まった『きょうの料理』の番組テキスト(58年創刊)の場合、1960年代は『牛肉とトマトの炒め 蕃茄牛肉(ツアンチエ ニューロウ)』のように“日本語表記+中国語の料理名+ルビ”という形式が一般化し、ルビも70年代にはほとんど北京語へと統一されます。しかし、時代を下るうちにその形式も変化し、90年代には完全に日本語表記のみになる。一方、青椒肉絲や麻婆豆腐のような定番化したメニューは中国語の漢字表記のみになっていく。ここからは、時間の経過と共に中国由来の料理が異国のものではなくなっていく過程が見て取れます」(同)

 さらに、『きょうの料理』に登場する講師たちにも同様の傾向が見られる。

 「初期の『きょうの料理』の講師はほぼ中国出身者ばかりでした。その代表がハルピン出身の王馬熙純(おうま・きじゅん)で、60年代は中華料理全体の37.5%を彼女のレシピが占めています。70年代に入ると日本に四川料理を広めた陳建民(ちん・けんみん)が頻繁に登場し、80年代までは王馬と陳の2大スターと限られた数人の中国系の講師で回すような感じでした」(同)

 なお、陳建民に関しては、前出の澁川氏も以下のように評す。

 「陳建民は昭和30年代に四川飯店で腕をふるう傍ら、昭和41年(1966年)に恵比寿に中国料理学院という料理学校を設立しました。そこで教えていた料理のひとつに、麻婆豆腐があります。これは花椒(四川山椒)を用いた本場の麻婆豆腐とは違う、日本人向けのマイルドな麻婆豆腐。豆板醤が手に入りにくかった当時、味噌と唐辛子で作った麻婆豆腐がテレビの『きょうの料理』でも紹介され、一般家庭にも広まりました。陳建民の麻婆豆腐は、ラーメンや餃子と並んで、日本風にアレンジされた中華料理の代表例でしょう」

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『きょうの料理』で麻婆豆腐を作る陳建民。

 しかし、90年代に入ると王馬熙純や陳建民のような圧倒的な存在はいなくなり、講師の顔ぶれも多様化していく。

 「陳建民の息子の陳建一や周富徳のような中国系の有名料理人も一定数いましたが、彼らのレシピが全体に占める割合はそれまでと比べると少なく、日本人の料理人もどんどん増えていきます。一方、紹介される中華料理に関しては、中華料理の担い手が多様化するのとは逆の傾向が見られます。つまり、60年代までは多種多様な中華料理が取り上げられていたのが、70年代半ばから徐々に固定化され、餃子、焼売、酢豚、春巻、炒飯といった定番メニューが繰り返し紹介されるようになります」(川口氏)

 メニューが固定化した背景には、先に澁川氏が餃子の普及に際して指摘したのと同じ理由がある。すなわち、ご飯に合うこと、あるいは炒飯のように米食になることだ。また、同じメニューが繰り返し登場するといっても、常に同じように調理されているわけではない。

 「90年代末から露出が増えた料理研究家の栗原はるみは、春巻であれば『カニクリーム春巻』、炒飯であれば『えびのカレーチャーハン』などを作っています。つまり、料理人によって大胆なアレンジが加えられるようになった。しかも、これらは『春巻』や『チャーハン』と名付けられてはいますが、中華料理ではないコーナーで紹介されています。そもそも、90年代後半以降は明確に“中華/中国料理”と銘打ったコーナー自体も“西洋料理”と共に減っていき、多様化とボーダレス化が進みます。ここからも、中華料理が徐々に日本の食体系に取り込まれていったことがうかがえます」(同)

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