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日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 『麒麟がくる』ハセヒロの名演と歴史の裏側

『麒麟がくる』先週の放送を総ざらい! 足利義輝(向井理)が引用した百人一首の歌に滲む盛者必衰の哀愁

新型コロナウイルスの影響で中断を余儀なくされていた大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)の放送がいよいよ再スタートした。ドラマをより深く楽しむため、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が劇中では描ききれない歴史の裏側を紐解く──。前回はコチラ

『麒麟がくる』先週の放送を総ざらい! 足利義輝(向井理)が引用した百人一首の歌に滲む盛者必衰の哀愁の画像1
足利義輝像(国立歴史民俗博物館蔵)

『麒麟がくる』第二十三回「義輝、夏の終わりに」が、予定より一週間ずれて放送されましたね。オープニング映像の文字だけでなく、回のタイトルまでエヴァっぽい。まあ、それは置いておいて……。

 前回のコラムでお話したように、冒頭からチョンマゲ頭、いえ、正しくは「野郎頭」を披露した足利義輝(向井理さん)に目をみはりつつも、彼の住まいの二条御所が、義輝以外「もぬけの殻」という演出にさらに驚く筆者でした。本当に誰もいない(笑)。

「ワシの夏も終わりじゃ~」とか言ってる義輝さんに、「あなたはセミか?」と思わずツッコミをいれてしまいましたが、それでも、「風の音にぞ おどろかれぬる(秋風の音に目が覚めてしまった)」などと古歌の一節に自分の心情を託してつぶやく姿には、さすが上様と思わせられました。

 もとは『百人一首』でもおなじみ、「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」という藤原敏行の歌ですね。意訳すれば、「落ち目な私。私の心は繊細だから、風音で目を覚ましてしまうんだよ」くらいは言えるかな。とにかく義輝さん、弱気になっておられます。

 昼間に明智光秀(長谷川博己さん)が、二条御所を訪問してきたときも、いかにも普通の女中しかいなかったことも気になりました。中庭だけがまだキレイに保たれているのが、よけいに虚しく映りました。随所に盛者必衰を思わせる演出が効いていましたね。

 そうそう、これも指摘しておこうと思ったのですが、現代人の感覚で「御所」というと、天皇家・宮家の方のお住まいのイメージが強いですよね。でも平安時代後期からは、公家のトップである摂関家・大臣家の屋敷、さらには征夷大将軍の屋敷も「御所」と呼んでもよろしい、ということになっていたのです。

 しかし、もはや義輝将軍がそんな御所に住めるほど特別な存在とは、誰も認めてくれていないわけです。義輝さん、前回の放送で「生活態度がなってない」と言われたり、帝からの扱いにスネたり、キレたりしていましたが、ここまで大変なことになっていたとは……。

 松永久秀(吉田鋼太郎さん)が今回語っていた、「自分の価値は、他人が決めること」というセリフが、われわれの胸にも重くのしかかってくるのでした。これは現代の天皇家の方々もそうなのですが、自分の人生をかけて自分という存在の意義を世間に問い続けねばならないのが、高貴な身分に生まれた方々の宿命ではないか……と筆者には思われるのです。それをある時期から怠ってしまったのが、『麒麟~』の足利義輝であった、と。

 そもそも室町幕府の将軍の権威は、江戸時代の徳川幕府の将軍にくらべてかなり弱く、簡単にいうと、連合政権のリーダー程度なので、部下の支持を失うことは「死」に等しいわけですね。でも人気取りの生活に「もう疲れちゃった」というのが義輝の本音でしょうか。

 そんな義輝を、世話好きな明智光秀は放ってはおけず、わざわざ美濃攻めの最中の織田信長(染谷将太さん)を訪ねたわけですが、戦を理由に上洛の約束すらもらえず、結局は孤立無援のままの義輝を放置し、京都を去らねばならなくなるのでした。

 自分の無力さを噛みしめるしかない明智は越前の我が家に帰り、「もうこのままで(世間のことなど考えず、越前で家族と暮らしていければ)良いかと思った」……と妻の煕子(木村文乃さん)につぶやくのです(ここの長谷川さんの芝居がすごくよかった)。

 すると煕子は明智の言葉を否定はしませんが、「それでも私は戦のない世になってほしい」と言って、弱気になった亭主の尻をたたいてやっていました。煕子のような理解者が、義輝さんの傍にもいたらよかったのですが……。

 別れ際に、死亡フラグ立ちすぎの義輝から「お前と早く会えたらよかった」「また会おう」などと言われて、つらくて仕方ないよという明智の無念もよくわかります。

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