菅義偉政権で“強権政治”から“恐怖政治”へ…富裕層は優遇され貧しい者はさらに貧しくなる!
#週刊誌 #週刊誌スクープ大賞
さあ、菅義偉が総裁に選ばれた。2位が岸田文雄、3位が石破茂だが、岸田と石破の差は、国会議員の数の差だけだ。
今週の第1位は、菅政権誕生の裏側を特集した記事に捧げる。
それほど菅義偉が自民党総裁、総理大臣に就任することがそれほど目出度いか。
プレジデント(10/2号)は「総理大臣『菅義偉』大解剖」という大特集を組んだ。「悩んで悩み抜いた わがリーダー論を明かそう」は、1年ほど前に菅から聞いた話の再録だが、ここは菅の「人生相談」まで連載している親・菅メディアの筆頭格である。
文藝春秋も同様だ。今月発売号で、また、菅の「我が政権構想」をやっている。現代では伊集院静が、連載の中で菅を取り上げ、菅の立候補の会見を見てこう思ったと書いている。「会見を聞いていて、もしこの人が宰相ならば、今、目の前にある諸問題への対処、対応に漏れも、穴もないのだろうと思った。おそらく今後、日々起きる諸問題に対しても、あざやかにこなすだろう」
「安倍の政策を継承する」としかいわなかった会見を見て、こう素直に思えるのは、以前から菅とつながりがあるのではないかと勘繰りたくなる。
ノンフィクション・ライターの森功が2016年に出した『総理の影 菅義偉の正体』(小学館ebooks)に、菅のメディア人脈についてこう書いている。
「新聞やテレビの政治記者はもとより、週刊誌や月刊誌の幹部やフリージャーナリストにいたるまで、菅の信奉者は少なくない」
あの冷酷な顔からは想像できないくらい、菅のメディア支配は広がっているようだ。
だが、なぜか菅の生い立ちや、どういう青年時代を送ったのかについては、圧倒的に情報量が少ない。文春ともあろうものがいまさら、菅の「集団就職」や「夜間大学」はフェイクだなどと、今週号で報じているくらいである。
森の本と、それより早くに出版されたノンフィクション・ライター松田賢弥の『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』講談社+α文庫)にも、菅が秋田県の貧しい農家の出で、集団就職で東京に来て、法政大学の夜間を出た苦労人政治家というイメージが独り歩きしているが、それは全く違うと書いてある。
だが、日刊スポーツ(9月3日付)は「法政夜間部を卒業」と報じ、産経新聞(同)も、「出身地の秋田から集団就職で上京し、段ボール工場での勤務などを経て、小此木彦三郎元通産相の秘書や横浜市議を経た苦労人」と書いた。
メディア側の勉強不足ではあるが、菅も意識して、貧しい出の人間が努力して立身出世を遂げてきたという「人物像」をでっち上げてきたのだ。
新潮は、以前の菅のHPでは、「集団就職」としていたが、いつの間にか「家出同然で」と書き換えられていたと報じている。
実際、父親の和三郎とは折り合いが悪かったようではあるが、育ててもらった故郷や実家を貶め、貧しい、苦学生というイメージをつくり上げられては、父親としてはたまったものではなかっただろう。
父・和三郎には商才があったようだ。稲作農業だけでは生活が豊かにならないと、改良を重ねて「ニューワサ」というブランドいちごづくりを始めたという。
他の地域でも同じようにいちごを作り出すと、流通量の少ない時期を狙って出荷して、値段を確保したそうだ。その後、和三郎は、町会議員にもなっている。
村で高校へ行けるのは裕福な家の子どもだけだったから、菅は恵まれていたことは間違いない。
大学時代は、アルバイトをして学費を稼いだそうだが、一説には、親からの仕送りがあったという話もある。
卒業して一旦、企業に勤めるが、「この世の中は政治が動かしている」と思い立ち、法政のOB会へいって政治家を紹介してもらう。
菅が法政大学に入学したのは1979年。70年安保闘争や学生紛争が盛りであり、東大、早稲田と並んで、法政も拠点の一つだった。
空手に打ち込んでいたそうだが、まともな学生なら、世を震撼させている過激派学生たちが立ち向かっているのは「政治権力」であることが分からないはずはない。よほど鈍かったか、政治家秘書を就職先の一つと考えていたのではないか。
中村梅吉元衆院議長、小此木彦三郎衆院議員の秘書になり、市会議員を2期、その後、衆議院選に出馬して当選する。
菅が国会議員になって師と仰いだのは梶山静六である。竹下派七奉行の一人で“武闘派”といわれた。
長兄を戦争で亡くしているため、「再び戦争を繰り返してはいけない」と平和主義を信念としていた。
しかし、梶山を師とする菅は、松田賢弥にこういったそうだ。
「梶山さんと俺の違いはひとつあった。梶山さんは平和主義で『憲法改正』反対だった。そこが、俺とちがう」
私が菅という男を信用ならないと思うのは、梶山の一番大事にしていた信念を自分のものとせず、いとも簡単に捨て去って省みないからである。
文春、新潮も触れていない、菅家の過去がある。
戦中、父親の和三郎は一旗揚げようと、1941年に中国・満州へと渡っているのだ。国策として送り込まれた入植者約27万人、いわゆる「満蒙開拓団」の一人であった。
彼は「満鉄」に勤め、妻になる女性を呼び寄せ、2人の娘を授かる。
だが、敗戦の年の8月、不可侵条約を破って攻め込んできたソ連軍によって、和三郎の所属していた開拓団376人のうち273人が亡くなっている。そのほとんどが集団自決だったという。
命からがら逃げてきた和三郎一家は、故郷へ舞い戻るが、今でもこのあたりでは、その当時の悲劇を語ることはタブーになっているという。
義偉が生まれたのは父親たちが引き揚げて2年経ってからである。松田は本の中で、「雄勝郡開拓団の不幸な歴史については、(インタビューしたが=筆者注)菅は詳しく知らなかった」と書いている。
知らないわけはないと思う。満蒙開拓団の悲劇は、日本が中国を侵略したために起きたのである。両親と2人の姉が味わった地獄を知れば、安倍と組んで押し通した集団的自衛権行使容認など、憲法を蔑ろにして「戦争のできる国」にすることなどできるはずがないと思う。
話を文春、新潮に戻そう。文春によれば、菅の奥さんは真理子というそうだ。小此木事務所にいた時に知り合い、結婚したが、安倍昭恵とは正反対で表に出るのが苦手なタイプのようだ。
新潮で真理子の知人がこういっている。
「彼女は静岡県清水市出身で、実家は食料品の卸問屋を営んでいました」
彼女には離婚歴があり、菅とは再婚だという。
新潮はこれまでも菅のスキャンダルを何度か報じているが、今号では、菅を取り巻く怪人物たちに焦点を当てている。
1人は「スルガコーポレーション」をやっていた岩田一雄だという。岩田は小此木と深い付き合いがあり、そこから菅ともつながりができたようだ。
菅の代表を務める自民党支部が01年~07年にかけて計104万円の献金を受けていたが、その時期、経営が悪化した岩田が、立ち退き交渉が長引きそうな古いビルを激安で買い叩き、複雑な権利関係を解きほぐし、転売して莫大な利益を生むという事業をやっていた。その裏では山口組系の企業が強引に立ち退かせていたそうだ。
そういうヤバイ企業から献金をもらっていることが発覚し、「道義的責任から全額返金しています」と菅の事務所は新潮に対して答えている。
横浜のドンといわれる、「藤木企業」の藤木幸夫会長とも長い付き合いだが、横浜へのカジノ進出に藤木が反対してから、3年ほどすきま風が吹いていた。だが、ここへきて関係を修復したそうである。
パチンコ・パチスロ界のドンで政界のタニマチとしても知られる「セガサミーホールディングス」の里見治会長とも昵懇だという。
東京五輪を誘致する際、菅から、アフリカ人を買収するために4~5億円の工作資金がいると頼まれ、知人とカネを作ってあげたそうだ。
里見は、カジノ誘致に積極的だったので、安倍政権は「カジノ推進法」を成立させたのではないかと、新潮は見ているようだ。
清濁併せ飲むのが政治家ならば、菅は政治家としては王道を歩いているのかもしれない。だが、一歩間違えれば……。
菅政権というのは、日本人にとっては「厄災」になりそうだ。9月10日、テレビ東京の番組に出演して菅は、「消費税は将来的に10%より上げる必要がある」といった。
翌日、まずいと思ったのだろう、会見で、「消費税は今後10年ぐらい上げる必要はない」といい直した。だが、菅の腹は、自分の政権の間に消費税アップを考えていることは間違いあるまい。
菅の持論は「国の基本は『自助、共助、公助』。自分でできることはまずは自分でやってみる」(文藝春秋10月号)である。貧困も格差も自己責任、政府が対応するのは一番最後でいいという考え方である。
国民に負担を負わせることに躊躇はしない。何しろコロナ対策で、10万円給付、「Go To」キャンペーンで大盤振る舞いしたのだからと、取り戻すためには消費税も増税もやってくるに違いない。
スガノミクスは、安倍と同様、大企業、富裕層を優遇し、貧しい者をさらに貧しくするものになる。
私は、「強権政治」から「恐怖政治」への移行だと見ている。(文中敬称略)
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