『麒麟がくる』向井理のチョンマゲ頭は“変わり者”の証? 戦国ヘアースタイル事情を紐解く
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新型コロナウイルスの影響で中断を余儀なくされていた大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)の放送がいよいよ再スタートした。ドラマをより深く楽しむため、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が劇中では描ききれない歴史の裏側を紐解く──。前回はコチラ
先週(9月6日)の『麒麟がくる』、まさかの放送中止でびっくりしたのは筆者だけではないでしょう。
「義輝、夏の終わりに」の放送を、筆者はかなり心待ちにしていました。というのも、次回予告の映像で、(足利)義輝(向井理さん)が、まさかのチョンマゲ頭を披露していたからです! 歴代の「大河ドラマ」の中で、チョンマゲ頭で描かれる室町幕府の将軍はすごくレアな気がしますから。
明日放送!
9月6日(日)
第23回「義輝、夏の終わりに」〈トリセツ〉公開中!
・麒麟MAP[総合]夜8時
[BSP]午後6時
[BS4K]午前9時/夜8時#麒麟がくる #公式_麒麟トリセツhttps://t.co/JpmdKuhQPx— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送@nhk_kirin) September 5, 2020
さてチョンマゲ、チョンマゲと連呼してきましたが、歴史に詳しい方はモヤモヤしているはず。そう、チョンマゲはあの髪型の正式名称ではありませんからね。頭頂部に髪の毛がなく、後頭部に髷(まげ)を作っている、あの髪型。正式には「野郎頭(やろうあたま)」などといいますので、本稿もこれからはそう呼びます。
戦国時代後期あたりは、「野郎頭」かそれ以外の「惣髪(そうはつ)」か、というのが成人男性の髪型の流行の分け目だったようです。ですから、義輝さんが、野郎頭でも考証的におかしいというわけではない。しかし、それ以上に、あの時代に野郎頭にするのはある意味、命がけだったのですよ。
野郎頭の歴史は平安時代後期にさかのぼります。しかし戦国時代に野郎頭といえば、戦場での髪型でした。重たい兜(かぶと)を被っていると、頭部は通常よりも蒸れやすくなります。だから頭頂部の髪はなくしてしまおうという発想で、重宝されたというのです。
毛が頭頂部になくなれば、頭が熱くなりにくく、ともすると頭に血も登らなくなり、冷静な判断ができなくなることを防げる……と当時の人は考えたのでした。今考えると、謎すぎる発想ですが……。
しかも当時、髪は剃るのではなく、巨大な木製毛抜で引き抜いていたのです。
「黒血流れて者(もの)すさまじかりし也」(『慶長見聞集』)なんていう、記述がありますね。「黒い血が流れて凄まじい」理由としては、頭頂部の毛をすべて抜くには長い時間がかかるので、血が出たり固まったりを繰り返すため、黒く見えたのでしょう。
髪と、それを引き抜く際に感じる痛みを神様に捧げ、武運長久を祈るための験(げん)担ぎではなかったかと筆者は思いますが、これがあまりに痛いし、炎症をこじらせてひどい感染症になる可能性も考えられます。抗生物質がない当時、それで亡くなる人もいたでしょう。それゆえ普段は惣髪……つまり『麒麟~』の明智光秀(長谷川博己さん)みたいな髪型にしているのが普通だったのですね。
『麒麟~』の織田信長(染谷将太さん)は、登場時からずっと野郎頭ですが、どうやら月代(さかやき/毛のない部分のこと)は剃ってるみたいですね。
「抜く」から「剃る」に野郎頭の作り方が切り替わった地点はいまだ不明です。まさに織田信長が、ある時期から「痛い! 抜いてられるか!」とキレて、剃らせるようになったという説もありますが……。ただ、これは江戸時代の創作のようです。
義輝さんに話を戻すと、兜をかぶるより、烏帽子や冠をかぶる機会のほうが多そうなのに、『麒麟~』では普段から野郎頭なので、そのビジュアルだけで「変わり者」というキャラクターがにじみ出ているように感じます。
あるいは「武家の棟梁」としての自覚が「ものすごすぎる人」という風に読むこともできる。前回も記しましたが、向井理さんが演じる義輝は少々「闇落ち」気味。自意識過剰であるがゆえに、周囲との落差がよけいにしんどいのでしょうか。
……などと、いろんな意味でワクワクドキドキしながら、放送を待っていたのに休止とは……。台風が憎いです。
なお、前回初登場だった「破天荒関白」こと近衛前久(本郷奏多さん)も、野郎頭のようです。初登場時、義輝さんと年号の論争をしている時の彼を思い出して下さい。録画がまだある人は、それを見返してください。冠を紐でアゴに結んでいるでしょう?
あれが野郎頭の証なのです。
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