90年代、スパイク・リーは『マルコムX』のキャップだった! 挫折した人が『ザ・ファイブ・ブラッズ』を見るべきわけ
#映画 #ドラマ #Netflix #VOD #プライムビデオ #産業医と映画Pによる配信作品批評「ネフリんはほりん」
サブカル好き産業医の大室正志とB級映画プロデューサーである伊丹タンが、毎回ひとつのVOD作品を選んで、それぞれの立場から根掘り葉掘り作品を堀り尽くす連載企画がスタート。
記念すべき第1回の作品は、Black Lives Matter(BLM)が大きなムーブメントとなっているアメリカで、人種差別の構造にフォーカスした映画を撮りつづけてきたスパイク・リーの、『ザ・ファイブ・ブラッズ』だ!
俺たちにとってのスパイク・リーは“サブカルアイコン”だった
――初回は、BLMが加熱した時期にちょうど、Netflixで放送開始となった『ザ・ファイブ・ブラッズ』をテーマにして、過去のスパイク・リー監督の作品と絡めていきましょう。
伊丹 どうせこのタイミングでの原稿アップになるなら、先日亡くなったチャドウィック・ボーズマンについても言及したかったですね。
――収録が結構前だったので、まさか……となってしまいました。どこかで、改めてお話を伺えたらと思っています。
大室 スパイク・リーについては正直、僕は『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)で止まってたんですよ。だから今回、せっかくだからってことでもう一回見直したんだけど。あの頃、自分がいかにスパイク・リーを“サブカル脳”で見てたかってことに気づいて。
伊丹 なるほど。
大室 当時、僕らくらいの世代は中学生で、めちゃくちゃストリートファッションブームだったんだよね。「Boon」(祥伝社)っていう雑誌が全盛期で。エアジョーダンとかG-SHOCKが流行ってたり、日本のカルチャーリーダーが「バスキアがイケてる」とか言ってたり。その中のひとつに、 “スパイク・リー”って単語があったんです。彼が監督した『マルコムX』(92)のロゴが入ったキャップが当時流行ったけどそれも、そのちょっと後に流行った「dj honda」の「h」みたいなファッションブランドだと思ってたくらい。
伊丹 そうそう。当時は『ドゥ・ザ・ライト・シング』を見ても、理解できてなくてつまらなかったんですよね。
大室 子どもの頭でストーリーを追っても、冗長に見えたよね。
伊丹 『マルコムX』もスパイク・リーを“ファッションアイコン”として知ってから劇場に見に行ったので、重たくてしんどかったんですよ。黒人の問題とか、ロス暴動とかもシリアスに理解してなかったから。
大室 でも確かに、あの当時の日本人がスパイク・リーの『ドゥ・ザ・ライト・シング』にやられたのは、想像に難くないんですよ。アフリカ系アメリカ人がたくさん暮らしているブルックリンが舞台なんだけど、今ほどオシャレなイメージではなくて。でもプエルトリコ人もいたり、韓国人もいたりと多様性があって、そこで黒人がピザを持ってストリートをうろちょろしてるっていう映像だけで、どこかカッコよかったんですよね。それまで白人が見せていたニューヨークのかっこよさとはまたちょっと違う。セリフもちょっとラップっぽいし、カメラワークもHIPHOPのPVみたいな撮り方をしていて、あの辺にガーンとやられた日本人がたくさんいたことは確かだよね。
伊丹 うんうん。
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