安倍首相“支離滅裂”“実績なし”で辞意表明 アベノミクス終了で金利はどうなる?
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安倍晋三首相は8月28日、自身の健康上の問題を理由に辞意を表明した。午後5時からの記者会見では、「病気と治療を抱え体調が万全ではない」とした上で、「国民の負託に応えることができずに申し訳ない」と謝罪した。
安倍首相は2006年9月20日、小泉純一郎首相の任期満了に伴う自由民主党総裁選で麻生太郎氏、谷垣禎一氏を大差で破って総裁となり、9月26日の臨時国会で内閣総理大臣に指名され、第1次安倍内閣が誕生した。
この時、安倍首相が就任表明で示したのは、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた国」でそれを「美しい国」と表現した。
だが、翌2007年9月12日午後2時、急遽行われた記者会見で、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する。翌日、慶應義塾大学病院に緊急入院、検査結果について医師団は、「胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にある」と発表した。
9月24日午後5時から慶應義塾大学病院で記者会見を行った安倍首相は、退陣の理由について、「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と述べた。翌9月25日、安倍内閣は総辞職し、第1次安倍内閣は幕を閉じた。
のちに、この時の病は特定疾患である「潰瘍性大腸炎」だったことが明らかになる。潰瘍性大腸炎は2015年から難病に指定されており、腹痛や下痢、血便などの症状がある。
こうしてわずか約1年で“首相の職を投げ出した”安倍氏だったが、2012年9月26日に行われた自民党総裁選挙で見事に返り咲く。この時、2009年に発売された潰瘍性大腸炎の治療薬が効果を示し、病状が飛躍的に改善したと伝わった。
余談だが、この潰瘍性大腸炎の治療薬がゼリア新薬工業の「アサコール」だということが明らかになると、一時、ゼリア新薬工業の株価が急騰した。
2012年12月16日、第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝すると、12月26日には安倍氏は第96代内閣総理大臣に就任し、第2次安倍内閣が発足した。
再登板した安倍首相はデフレ経済からの脱却を旗印に、「大胆な金融緩和」、「機動的な財政出動」、「民間投資を喚起する成長戦略」を“三本の矢”に例えた一連の経済対策「アベノミクス」を打ち出した。ここから約7年8カ月間の“安倍1強時代”が続いた。
そして、今年8月28日、第1次安倍内閣の終焉となった潰瘍性大腸炎により、またしても安倍内閣は終焉を迎えることになる。安倍首相は会見で、「臨時代理は置かず、次の政権が発足するまで、首相の職務を続ける」意向を示したが、これもまた第1次安倍内閣終焉時と同様だ。
9月21日は安倍首相の誕生日だが、第1次安倍内閣時は慶應義塾大学病院で誕生日を迎えており、今年の誕生日も慶應義塾大学病院で迎えることになるかも知れない。
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