『麒麟がくる』長谷川博己と“鉄砲大河”の因縁! 戦国時代を彩る武器の意外なお値段とその価値
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歴史エッセイストの堀江宏樹氏が『麒麟がくる』では描ききれない、歴史の面白さを解説する──。
日本の合戦のあり方を一変させたといわれる鉄砲の存在。
『麒麟がくる』でも、ドラマを動かすキーアイテムとして、ほぼ毎回、話題に登っていました。今年の大河はヒロインが「鉄砲の家」の娘だった『八重の桜』(2013)以上に”鉄砲推し”なのではないでしょうか……。
天文12年(1543年)、種子島(現・鹿児島県)にポルトガル船が漂着した時、鉄砲は日本にもたらされたといわれますね。ヨーロッパでは「マスケット銃」と呼ばれる種類の銃です。
この銃は『麒麟~』の劇中でもあるように、各地の戦国大名が熱い視線を注ぎ、急速に普及していきました。戦国時代末には戦国大名必須の武器となり、「大坂夏の陣」(慶長20年/1615年)では“領地1万石あたり、鉄砲20挺を持つべし”ということが大名家に命令されるほどでした。
当時の鉄砲の問題は1分に1発しか発射できないこと。そして現代の貨幣価値にして鉄砲一丁あたり、約60万円と比較的高価だったことがあげられます。元亀元年(1570年) の島津氏による鉄砲購入記録などを参照した先行研究では、60万円の数字が出ているのですが、現代の貨幣価値をもとに精密に計算すれば 実際の価格はさらに数十万円ほど高かったかもしれません。 そういう話は、また後日……。
ちなみに織田信長は3000丁もの鉄砲(『信長記』)を使い、武田勝頼の騎馬隊を見事に討ち取ったといわれます。だいぶ数字を盛っている気はするんですが(笑)、この「長篠の戦い」(天正3年/1575年)は、『麒麟~』でも見どころになると思いますので、その時にまた語らせていただきます。
先ほど『八重の桜』について触れましたが、よく考えると、『八重~』にも長谷川博己さんは出演なさっていましたね。会津藩の砲術指南の山本家に生まれたヒロイン・八重(綾瀬はるかさん)の最初の夫となる、川崎尚之助役でした。長谷川さん演じる川崎尚之助は、「鉄砲の家」である山本家に出入りし、鉄砲を構えているシーンもありました。
実はこれ、歴史ファンとしてはけっこう興味深いのです。というのも、『麒麟~』の明智光秀と、『八重~』の川崎尚之助が(すくなくとも会津に彼がやってきた当初)構えていた鉄砲、この2つは基本的に同じ機構を持つ「マスケット銃」なんですね。
なぜそう言えるのかというと、鎖国されている間、日本での銃の進化は止まってしまっていたのです。発明自体は外国のものでも、日本人は発明より技術革新が得意だと言われているのに、どうして江戸時代の鉄砲職人たちは鉄砲の改良をしなかったのでしょうか。
武器としての殺傷能力より、審美性の高い外見を持つ日本刀が「武士の魂」として、戦のなかった江戸時代の中で価値を上げすぎてしまったことがあるのかもしれません。それゆえに、鉄砲をいくら改良したところで、刀より価値が高くなるわけでもなく、カネにもなりにくかったんですね。
さらに、鉄砲という武器を主に使っていたのが足軽など下級武士にすぎなかったこと。すなわち武器としての鉄砲の地位が、あまり高くはならなかったことも指摘できるでしょう。
ただ、鉄砲が持つ高い殺傷能力はリアルな戦争に従軍していた者たちの間では注目されており、明智が生きていた時代から戦国時代末期にかけ、鉄砲は農民などの庶民層にさえジワジワと、普及していったのですよ。
天正15年(1587年)5月、天下統一目前の豊臣秀吉と戦うことになった北条氏が領民に出したお触れ(後に「五月動員令」と呼ばれる)から抜粋すると、
<(今は通常なら戦の時期ではない、農業に大切な五月であるが)お国の大事である。15-70歳の男性は、弓・槍・鉄砲といった3種類の指定武器のうち、どれでもいいから、自前で準備、出征せよ!>
とあるので、持っている人も何割かはいるほどの「メジャー」な武器に、戦国末期にはすでになっていたようですね(ただし、その後、豊臣秀吉が「兵農分離」を打ち出し、農民たちから鉄砲や刀といった武器を奪ってしまうのですが……)。
それでは突然ですが、弓・槍・鉄砲といった、指定の3種の武器の中で、素人にもお勧めの武器はなんでしょうか?
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