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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 本・マンガ  > 75歳・ロフト創始者の純愛小説とは?

ロフト創始者・平野悠がコロナ問題に直面しつつも世に問うた「壮絶な純愛小説」とは?

ロフト創始者の平野悠氏

 3月20日、東京都渋谷区のライブハウス「LOFT HEAVEN」に出演した複数のアーティストや、脚本家の宮藤官九郎を含む観客が新型コロナウイルスに感染していたことが判明。

 4月初旬、筆者がイベントプロデューサーとして企画に参加する運営会社の店舗から、何人もの感染者を出してしまった経緯がさまざまなメディアを通じて、センセーショナルに報道された。

 サザンオールスターズ、ARB、BOØWYなど、数多くのミュージシャンを育て上げてきた老舗ライブハウス「ロフト」の創始者であり、世界初となるトークライブハウス「ロフトプラスワン」の席亭としても知られる平野悠は、事態収束へと向けて自身のブログ「ロフト席亭・平野悠のBLOG 何でも見てやろう」で速やかに、ライブハウスの運営会社ロフトプロジェクトの会長職の辞任を報告。皮肉なことに、コロナ禍でイベントのキャンセルが続出する中、社員や契約スタッフの雇用を守りつつ、月額1300万円にも上る全店舗の家賃支払い額まで公表。経営者としての偽らざる心情を吐露していた上記ブログの投稿は、直ちに炎上してしまった。

 4月11日には、TBS系列の『報道特集』に平野が出演。謝罪の言葉を伝えながらも、改めてライブハウス再開への厳しい現実を語っていた。50年近くもの間、次々とライブハウスをオープンさせ、店に来てくれた客に気軽な挨拶を交わすことを信条としてきただけに、モニターに映った平野の神妙な表情を見るたびに、心なしか痩せ細ってしまったようにも感じられた。

 どこか破天荒で、さりげない優しさを秘めた平野から多くのことを学んできた筆者にとって、系列の12店舗すべてが休業を余儀なくされてしまったことは、想定外の出来事だった。それらの報道を目にする度、人知れず「ロフト」への恩返しを考えつつ、再開への思案を巡らせた。

 かつて筆者は、ワイドショー司会者の発言に疑問を呈した平野から「この抗議活動を撮影して、ドキュメンタリーを作らないか?」と提案され、テレビ局への抗議デモを記録した映像作品の演出を担当した。それを手始めとして、「個人情報保護法案に反対する共同アピール」の声明に賛同した平野に同行し、著名なジャーナリストたちによる徹底抗戦の模様を手持ちカメラで追いかけて、数年間にわたって記録した。さらには「開戦前夜のイラクへ飛ぶから、我々の抗議活動を撮影してほしい」と告げられ、3日間かけて空路と陸路を乗り継ぎ、首都・バクダッドを目指したのだった。

 ある時など、ネットでイラク戦争開戦の緊急速報を知るや否や、デスク仕事をする筆者にバイクのヘルメットを投げつけた平野が、「アメ大前で抗議するからバイクに乗れ、この瞬間を記録するんだ!」叫ぶので、ビデオカメラを握りしめて急いで後部シートに跨った。疾走するバイクの背にロフトの旗をなびかせて、アメリカ大使館周辺に集う人々の悲壮な反戦メッセージを記録した。事務所に戻り、深夜までイラク国内で撮影した反戦デモの映像を組み合わせて編集し、ドキュメンタリー作品の完成に心血を注いでいった。

 筆者がそんな「ロフト」の映像部門から独立して、もう15年余りが過ぎようとしていた――。

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