明智光秀は足軽だった? 斎藤道三との本当の仲…etc. 『麒麟がくる』が描かない不都合な歴史
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明智は秀吉同様「成り上がり」だったのか?
今回は「記録で見る限り」などという表現を多用してきましたが、明智に関する仕官記録の類については、未来の子孫たちに残しておくべき記録として(とくに下級武士の記録については)取り扱われなかったことを指摘せねばなりません。
そもそも当時、紙は上流階級の間で贈答品に使われるほど、非常に高価な代物でしたから、大したことのない記録は、裏紙として再利用されたりしました。そしてそのうち廃棄されてしまうのです。仕官記録も、すべてがすべて残されているというものでもないのですね。
だから記録に残ってはいなくとも、別にどこかで明智はそれなりに仕官経験を積んで、足利家にも仕えるようになったと考えることもできます(足軽だった事実は消えませんが)。
しかし、です。明智光秀は、おのれを源氏の名門・土岐一族につらなる家の出身だと、一貫して自己紹介していたようです。嘘ならもっと系図を盛るはずだし、折に触れて適当に先祖の名前を変えるのでは?
本当にフロイスがいうように明智の身分が低いのであれば、いくら「足軽」としてにせよ、将軍・足利義昭に仕官することができるのかな……という疑問も残りますね。
とすると、明智の実家は血筋をたどれば名門にいきつくが、彼が生まれるころには見る影もなく没落しており、ほとんどゼロベースでのスタートを切っていたのではないか、ということを考えたりもします。
それにしても、秀吉とほぼ“同類”の明智となると、『麒麟~』はもちろん、これまでの大河で描かれたことのないキャラ設定になってしまいますよね。
8月末からの『麒麟~』放送再開に向けて、これまでの総集編が放送開始です。大河が描こうとしない “不都合な真実”を頭の片隅にいれてドラマを見直すこともまた一興かもしれません。
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