『世界SF作家会議』”未来のプロ”のSF作家たちが侃々諤々の徹底討論! アフターコロナの世界は「小説より奇なり」
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7月26日の深夜に放送された『世界SF作家会議』(フジテレビ系)は、「“アフターコロナの世界”は果たしてどんな世界になっていくのか?」を、未来について考える専門家――――即ち“未来のプロ”であるSF作家たちが語り尽くすという番組だ。登場したのは新井素子、冲方丁、藤井太洋、小川哲の4人である。
新型コロナウイルスで思い知る「事実は小説より奇なり」
まず興味深かったのは、藤井と沖方と小川のやり取りだ。最初に藤井が口を開いた。
「今回のウイルスのゲノムはだいたい3kb。本当に無機的なものなので、どこにも意思とか悪意みたいなものが書かれていない。なのに、コロナウイルスは社会の1番弱いところをグリグリと突いてくるわけですよ。これは凄い。本当に怖いです」(藤井)
藤井によると、感染を抑え込んだと思われたシンガポールでは、第二波が外国人家政婦から起きたという。アメリカは貧困や健康保険がないという医療の弱さを突かれて感染が広まった。では、日本はどうか?
「コンピューターを本当に使ってないなと。1995年くらいから何も変わってないんじゃないかというレベルでコンピューターが使われていない! 本当にまずいなと思いました。日本で最高の叡智を集めた対策チームが、手書きのFAXからExcelに入れて、なぜ電卓で計算してるんだ、君たちは!? みたいな」(藤井)
この指摘に頷く視聴者は多かったのではないか。日本は未だに手書きFAXと印鑑の国である。藤井に続き、小川が口を開いた。
「作家が描くパンデミックって、致死率が高くて強烈なウイルスにしかならないんですよね。コロナウイルスみたいに潜伏期間が長く、伝染力が高くて、日常を破壊していくウイルスのデザインって、これまでのフィクションにはあんまりなかった」(小川)
そして、冲方が2人に続く。
「こんなコロナみたいな設定を考えたら、たぶん編集者から『リアリティがない』って言われたんじゃないかな。ウイルスが人間を理解しすぎだろうって。こういうウイルスよりも凄いウイルスをフィクションで考えるのってすごい大変だなっていう(笑)」(沖方)
まさに、「事実は小説より奇なり」だ。小説として成立させようと1人の作家の想像力の範囲内で作り出したウイルスよりも、現実のウイルスのほうが限界はない。当然といえば当然の話だが、本職のSF作家たちも、今回で思い知ったということなのだろう。
政治家はフィクションより現実のほうがダメ!?
続いて、小川と沖方のやり取りを取り上げたい。アフターコロナについて、小川は“健康的な被害”と“経済や日常的娯楽の損失“の新たなトロッコ問題(※)だと定義した。
「例えば、100人の感染者の命と100万人の雇用や娯楽、つまり日々の生活を満足に生きることのどちらを優先すべきかみたいな問い。それが、新しいトロッコ問題として浮かび上がってきたのかな」(小川)
ここで問われているのは政治家の資質だ。舵を取ることでその政治家には責任が生じる。でも、多くの者はそれを背負いたがらない。だから、トロッコの進路が明確にされづらいという問題が起きてきてしまうのだ。
「命の価値は無限なんで、どこかに線を引くと“じゃあ亡くなる人の命はいいのか?”という議論が生まれてしまう。でも、政治家の人は“どちらの選択もしてない”とごまかすというか。はっきりとラインを引いてしまうと、必ず文句を言われてしまうので。だからどっちにも気を配って、“緊急非常事態は解除するけど非常アラートは鳴らしますよ”みたいな。政治家としては正解なのかな。でも、本当に世界を良くしていくためにはどうなんだろう? って、気がしますけどね」(小川)
要するに、「ブレーキは踏んだ」と安心させといて、でもアクセルも踏んでいるという状況である。政府が強行した「GoToトラベルキャンペーン」について、小池百合子都知事も同じような発言をしていたが、ニュースを見ていると、まさにそんな現状を連日目にする。
「日本の文化に限定して言えば、確実に病んだ人を犠牲にしてきたんですよね。病んだ奴は隔離する、排除する。実は、今やってることって平安時代にやってきたことと全く一緒なんです。平安時代の政府が言いそうなことを言ってるんですよ(笑)。“みんなで慎みましょう”とか、“今、穢れが広がってるからみんなと会わないようにしましょう”とか」(沖方)
しかし、ただ慎むだけじゃなかったはずだ。
「慎むには必ず期間が定められているんです。ある一定の期間が経つと無罪放免とか御役御免になって、シャバに出ることが許されるわけです。徹底的に貧者、病人を排除していくと社会は成り立たなくなるっていうのは、日本人はもうわかっているので。でも、今は平安時代の知恵の最後の部分が出てきてないですよね。どうしたら許されるのか? どうしたらもう1回相手を受け入れるのか? 不寛容を避けることができる、せめてもの知恵ですよね」(沖方)
つまり、今は平安時代より後退しているということ。沖方の以下の発言には溜飲が下がった。
「平安時代は、ありとあらゆることが記録に残ってますからね。彼らは、当時の最先端の技術を駆使して情報を公開していましたから」(沖方)
現代では、なぜかデータが消えちゃうからな……。アメリカのSF作家であるテッド・チャンは、今回のパンデミックについて「フィクションではこんな無能な政治家は書かない」と発言したという。SF作家会議に顧問という立場で参加した大森望は、SF小説における政治家の描き方に言及した。
「フィクションで無能な政治家が出てくると、パンデミックが広がっても『これは無能な政治家のせいなんだから、ちゃんとした人が対応すればすぐに制圧できてたでしょ』と読者が思っちゃう。焦点がぼやけるからフィクションでは無能な政治家は出さない。だけど、現実は平気で焦点がボヤけるんですね(笑)。『誰が悪い』みたいな、そっちに行ってしまう」(大森)
端的に言えば、フィクションより現実のほうが政治家はダメだということ。事実、こんなに無能とは思わなかった。映画『シン・ゴジラ』に出てくるような政治家たちだったら、どんなに良かったか……。
「地球外文明と接触する可能性は新型コロナウイルス以上に差し迫った現実的な問題」
ここまで会議を見ていて、悪い意味で予想を裏切られた印象だった。意外とみんな、発言内容が振り切っていない。“国家や人類はどうなる?”というスケールで、SF作家という立場から無邪気なことを話してくれると期待していたが、それより1人の人間としての顔が前面に出てきた印象だ。
そんな中、アジア人として初めてヒューゴー賞を受賞したSF作家・劉慈欣(りゅう・じきん)が番組に寄せたメッセージが空気を変えた。
「今回のコロナウイルス影響により、わたしたちは歴史の流れが予測不可能な出来事に遭遇する可能性を知らされたのです」
「今回のコロナで証明されたのは、人類はこのような突発的な出来事に対して精神面でも物質面でもまったく準備できていないということです」
「現在、SF作家だけが人類が未来で遭遇する可能性のある予想外の出来事に真正面から向き合っているようです。異星人がその一例です。地球外文明との接触はSFに出てくるトピックに過ぎず、現実的な問題ではないと人々は考えています。しかしながら、地球外文明と接触する可能性は新型コロナウイルス以上に差し迫った現実的な問題です。(中略)私たちは人類文明を完全に変えてしまう可能性のある、こうした予想外の出来事に対して世界レベルではもちろん、国家レベル、社会レベル、個人レベルでも誰1人準備ができていません。人類の未来の歩みはSF小説以上に奇妙で予測不可能なものです。未来のあらゆる可能性に注意を払い、起こるかもしれない出来事に対して精神的・理論的な準備を整えておくべきなのです」
今後、もしもウイルス以上の問題に直面したとしても、人類は準備をしていない。そんな出来事は、これからも起こり得る。SF作家の口から聞きたかったのは、もしかしたらこういう問題提議だったのかもしれない。
このように思考を巡らせるSF作家がいる一方で、独特の存在感が際立っていたのは新井素子だ。
「皆さんが仰ることは本当にその通りだと思うんです。だけど……そんなことしてる場合じゃないでしょう!? って言いたいんです。伝染病は天災の一種だと思ったほうがいいです。日本人はこれだけ台風に慣れてるんだから、台風が来たときに人を責めたってしょうがないでしょ? その前にまず雨漏りを止めて、冠水している道路を何とかして、やることがいっぱいあるじゃん……って、心から主張したいんです」(新井)
“うまいこと言った者勝ち”になる危険性も孕んでいた世界SF作家会議。しかし、有意義な場として成立した部分はあったと思う。ただの思考合戦では済まさなかった。実は1970年代くらいまでは、世界の問題について考える役目をSF作家が担っていたそうだ。
(※)トロッコ問題:分岐する2つの線路にそれぞれ人間が1人と5人横たわっている状況で「ある人を救うために他の人を犠牲にすることは許されるか?」を問う思考実験。
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