明智光秀の「給付金」施策は失敗に終わっていた?“本能寺の変”の逸話から探る『麒麟がくる』今後の展開
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明智がとった「給付金」施策、その成果は?
金銀の略奪のあと、明智は身も蓋もない「バラマキ」行為を、都の朝廷関係者など、上流階級相手に即座に始めているのですね。その額、現代日本の貨幣価値で、現在の貨幣価値にして一説に何十億円単位にも及んだとか(フロイス『日本史』など)。また、京都の庶民たちにも減税政策を打ち出しました。
しかし、金で信頼を買おうという明智に味方をする者たちは少なく、明智の末路は悲惨でした。「十日天下」の後(実際は11日)、中国地方からとんぼ帰りしてきた秀吉相手との決戦が、つまり天正10年6月13日にありました。
いわゆる「山崎の戦い」ですが、ここで敗れた明智光秀は莫大な黄金を逃亡協力してくれた農民たちに与えると約束したにもかかわらず、その農民たちから裏切られ、逃亡途中に槍で突かれ、絶命しているのです。
つまり、農民たちは明智が約束を守らないかもしれないと疑い、その場で殺して、有り金だけでもせしめる。そして首を秀吉にもっていったほうがトクだと判断したということなんですね。この情報の出典は、イエズス会宣教師たちの『耶蘇会士通信』(1583年2月13日)です。
史実の明智には金はあっても、人望がなかったのということでしょうか。
明智が「天下人」になれなかった理由に定説はありません。「謀反人」である明智に「魅力」がなかったことはわかります。戦国時代の日本人は、確かにタダでは動きません。しかし大金を積んだところで動くとも限らない。明智の大量のバラマキは「生き金」にはなれなかったのです。
少なくとも周囲は、明智が思う以上にシビアに彼という男の器の小ささに気づいていた。有能な部下かもしれないが、大将の格ではない。つまり「天下人」の器量ではないというのが明智の起こした「本能寺の変」に対する世間の回答だったということなのでしょう。
また、最近では「本能寺の変」の黒幕だといわれることが多くなった京都の(イケズな)上流階級からも、明智は「所詮は集金しか能のない男、大金で歓心まで買えると本気で思っているおめでたい男」くらいにしか思われていなかったのでは……とまでいうとあまりに気の毒かもしれませんが。
ちなみに豊臣秀吉が、「本能寺の変」で信長が明智に討たれたと知ったときに行ったことも、明智と同じくバラマキだったようですよ。しかし、明智の時とは打って変わって秀吉には世間もついていきました。
信長の命で中国地方に2万の兵を率いて進軍していた秀吉が、その2万の兵たちに「臨時ボーナス」として配ったとされる賞与(具体的には金銀と米)は、1人あたり現代日本の貨幣価値で約50万円弱だったそうです。
総額でいえば、秀吉にとっても多額の出費だったとは思います。しかし、安土城に眠っていた莫大な金銀財宝のうち、何十億円規模のバラマキを有力者中心に行った明智のほうが規模としては上です。
それなのに、2万の兵たちはもちろん、その場で現金給付を受けていない他の武将たちまでもが明智ではなく、秀吉についてしまったのです。
この50万円ボーナス事件のソースは俗書とされる『川角太閤記』(かわすみ・たいこうき)ではありますが、今とかわらず「お金」が大事だった戦国時代においても、誰から、どういう目的としてお金を受け取るか。それによって人心は動くか、動かないかが決まったらしいことがリアルに想像されるのですね。
金に厳しく、搾り取れるところは搾り取るけど、少なくとも味方には優しく、気前もよかったはずの明智光秀という人物になぜ、人心はなびかなかったのか。
この歴史のミステリーには闇深いものが隠されているようです。残された史実からだけでは読み解けない謎を、今回の大河『麒麟がくる』はどう描くのでしょうか。楽しみですね。
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