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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 若者へのドリーム・ハラスメント

大人に「夢を持とう」と強要された若者が追い詰められる“ドリーム・ハラスメント”の罪

写真/Getty Images

「夢を持て」とよく言われる。しかし、夢を叶えられる人ばかりではないし、社会経験もない子どもが将来像を描けるとは限らない(実際、「夢が持てない」と悩む子は多い)。夢を描けたとしても、経験や知識が少ないほどその解像度は粗く、視野狭窄なものにならざるを得ない。にもかかわらず、なぜ大人は「夢を持て」と子どもに言い続けるのか? この「夢の強要」問題に迫った『ドリーム・ハラスメント 「夢」で若者を追い詰める大人たち』(イースト・プレス)という名の書籍が6月に刊行された。著者の高部大問氏に、ドリハラが発生する背景と「夢の代わりになるもの」について訊いた。

高部大問著『ドリーム・ハラスメント 「夢」で若者を追い詰める大人たち』(イースト・プレス)

夢で釣って就職させるビジネスの利権

――高部さんの本では「『夢を持て』と強要することはハラスメントである」という主張が展開されますが、この問題に関心を持ったきっかけは?

高部 大きくいうと2段階あります。私は今は多摩大学の事務職員なのですが、前職はリクルートです。新卒でリクルートに入ると、大半が営業配属だった同期の中で私ひとり総務部に配属で、初日にいきなり先輩から携帯電話を渡され、「いつ鳴るかわからないから」と。なんの電話かなと思うと、24時間365日「いつ鳴るかわからない」クレーム対応の電話でした(笑)。入社して数カ月後に同期40人くらいが集まって話をしたとき、僕の仕事に対して「どこにやりがいがあるの?」「楽しいの?」という質問を次々浴びせられました。僕は「そういうものではないけど、クレームは社会からの期待やビジネスの種という側面もあって、会社にとって重要な仕事だし」と思っていたのですが、賛同者はなく、そのとき「すべての仕事にやりがいや夢を求めるってどうなんだろう?」と疑問が浮かんできました。これが第1段階目です。

 2段階目は、大学の事務職員になって中学・高校に「うちの大学に入りませんか?」と広報活動に赴くことが多くなり、講演などでのやり取りやアンケートを通じて「夢が持てない」「特にやりたい仕事がない」と苦しんでいる子どもたちを目の当たりにしたことです。

 それがリクルート時代の自分の経験とリンクして、「夢の強要は、嫌がらせになっているのでは?」という問題意識として結実しました。僕はリクルートに就職して同期に問い詰められるまで、「夢を持たなきゃ」「やりたいことを仕事にしなきゃ」と悩んだ経験はなく、だからこそ「こんなにみんなツラいのか」という衝撃が大きかった。

――若者に「夢を持ちましょう」と言ってくる大きな勢力のひとつが教育機関ですよね。例えば、文科省が推進する「キャリア教育」においてもそれが行われている。ところが、当の文科省も「現状のキャリア教育は『夢を持たせること』に偏っていて、働くことの現実を教えることやそのための能力獲得が手薄である」と指摘していると高部さんの本に書いてあり、「え、じゃあ、変えようよ」と思いましたが……。

高部 文科省に限らず、経産省をはじめ複数の官庁が発表している報告書などで、何度も「夢」という言葉が用いられています。ただ、そんなにきちんと考えて「夢」というワードを使っているわけではないと思うんですね。おそらく思い入れも悪意もない。

――にもかかわらず、「夢」「夢」と連発してしまうのは、大人が子どもに対して目の前の勉強や各種活動に取り組ませる動機づけの道具が必要だからですよね。まず将来像を決めさせて、「夢を実現するために、今がんばろう」と差し向けている構造がある。

高部 指導法として、ほぼそれしかないんですね。例えば、本田圭佑さんをはじめ、多くの著名人も「そういうやり方でキャリアを築いた」と語っています。そうすると、「ほら、証拠があるでしょ?」と大人は言いやすいわけです。

――ここ数年、小学校高学年~高校生向けの「子ども向け自己啓発書」がブームになっており、キャリア教育的な内容の本も多いです。この現象について高部さんはどう感じますか?

高部 考えさせること自体はいいと思います。総論としてはアリでしょう。各論としては個別に内容を精査しないとなんとも言えませんが、こと日本の場合は「自己啓発」というと「ゴールにたどり着くために、やるべきことを決めよう」という直線的なわかりやすさが重視されがちなんですよね……。答えはないけれども右往左往して考え抜くという、思考の練習としての自己啓発ならいいんです。でも、それは目的を定めない旅なので、商業主義にはあまり馴染まない。

――僕は必ずしもすべての子ども向け自己啓発書に否定的ではないのですが、そういう本を作った編集者に取材して「『年端もいかない子どもに自己啓発させるなんて』といった批判的な声はないんですか?」と訊くと、みなさん口を揃えて「ありません」と言うんですね。本当かなあ、と。

高部 僕は自己啓発という言葉自体に馴染みがない人生を送ってきたので、「それを子どもにやらせるのか」と複雑な心境になりますね。また、何か主張すれば大体、賛否があるものじゃないですか。僕の本にだって、「わざわざ本にするようなことか」「今年読んだ本の中で一番非生産的な内容だった」「それでも夢を持たないとダメだ」と批判される人がいます。でも、それでいいと思うんです。普通は賛成だけでなく、反対の意見も耳に入りますよね。ファンもいれば、アンチもいる。もし、自己啓発が多様な考えをシャットダウンして一本道に向かわせるものになっているのだとすると、どうなんだろうとは思います。

――子ども向け自己啓発書もそうなのですが、多くの大人は実際のところは「なんでもいいから勉強してくれ」などと思って、“方便”として「夢を持って、それを目指そう」と子どもに言っている。でも、実は押しつけられた子どもからすると、“本気”で悩んでしまうものになっているわけですよね。

高部 そう、言われたほうは真に受けてしまうんです。ただ、多くの子どもに親・教師以外の社会人との接点がもっとあれば、真に受けずに済むかもしれないと思います。社会に出たら、結構いい加減だけどエンジョイしている人だっているし、プライベート第一で働いている人もいる。ところが、子どもが対峙する大人が先生と保護者しかおらず、2分の2の確率で「計画的に人生を」とか「夢を持とう」と言われたら、そうしないといけないと信じてしまう。「サンタクロースはいる」と小さい子どもみんなに信じさせているのと構造的には同じです。

――なるほど(笑)。教師・親は具体的な職業教育や広範な職業選択に関する情報提供はできないけれども、「夢を持て」と言うことはできるから言う。そして、そういう具体的なことを外注されるキャリア教育ビジネスに携わる人たちは、わかりやすい結果や目先の数字が求められるから、「講演の後、子どもが夢を持てたか」だとか、就職率のような計測しやすくて短期的に成果にしやすいところにフォーカスする、と。高部さんの本に書かれている強烈な指摘ですが、いわば「夢利権」みたいなものができている?

高部 僕も職業柄、キャリアカウンセラーやキャリアコンサルタントの方と接点が多いので、半ば身内批判のようになってしまい、心苦しいのですが……キャリアコンサルタントの国家資格を持った方は、すでに8万人以上いるわけです。実績を出さないと、彼ら自身のキャリアも危なくなってしまう。企業の人事の方もそうですね。みなさん悪意なく、それどころかある種の正義感も相まって、夢で釣って就職させることに傾斜してしまうんです。

面接で「夢は幸せな家庭を築くこと」と言ったら怒られた

――資本主義経済はどうしても成長を求め続けるので、停滞しないためには堅実な目標以上のビジョン、夢を必要としてしまうのでは? とも思ったのですが、高部さんの本によると、70年代にアメリカでキャリア教育が提唱されたときには問題の中核は学校教育と職業教育の乖離とされて、「夢を持て」という話になっていなかった、とあります。つまり、日本が特別に夢重視になっているわけですよね。これは、なぜでしょうか?

高部 日本は表向き階級・階層が「ない」とされてきたので、夢をどれだけハイレベルに設定しても、努力次第で達成できそうな印象を多くの人に与えています。でも、例えばアメリカやイギリスに住んでいる方たちに訊くと、階層はあると。そういう社会で「夢」といったとしても、超えられる壁と超えられない壁がある。誰でも果てしなくジャンプアップできるというイメージを持つ人は、めったにいません。ところが、日本はヘンな公平・平等意識があり、大きな夢を持たせることがすごく都合がよかったんじゃないかと。

――日本は専門性軽視の国でもありますよね。博士号人材が重宝されないですし、工業高校や農業高校に行くより普通科の偏差値が高い高校に行ったほうがエラいとされるような空気もありますし。士業など一部を除けば、「専門的なことを学んだ先に、それとつながる仕事がある」といったイメージが希薄で、だからみんな具体的な将来の職業を想像できないのでは、という気もします。

高部 戦後、日本では「手に職」を持つ人や、戦略を決めたり企画をプランニングしたりするトップは一部の人だけでよく、ほかは遮二無二働いてくれる、まっさらなサラリーマンが大量に必要でした。だから、「普通科を出てサラリーマンになる」ことが機能していたし、昭和の多くの人の夢はマイホーム、マイカーのような消費物を手に入れることでした。

 ところが、最近は若い人の物欲自体が減退し、「働いたお金で何かを得ること」から「仕事で何かを達成すること」自体に働く動機、夢をシフトさせなければならなくなった。「普通」に価値がなくなった。そういう歴史的な背景もあります。

――私の父親もマイホームに憧れた世代ですが、ほんの30~40年前までは「自分の家を建てるのが夢だ」と職場で言っても「がんばれよ」で済んだのに、今の学生が就活の面接で「仕事で稼いだお金でプライベートを充実させたい」とか「サーフィンで日本一になりたい」みたいなことを言ったら落とされる、というのは理不尽ですよね。

高部 まったくその通りです。先日も学生と面談していて「面接で『夢は幸せな家庭を築くことです』と言ったら怒られた」と言われましたが、夢を強要することだけでなく、夢の内容を「仕事を通じての自己実現」に限定すること、他人が文句をつけることもおかしいんです。

画一的なランキング志向で生きづらくなる

――ただ、そうはいっても動機づけの道具として「夢の代わりになるもの、ある?」という声もありますよね。夢に頼りすぎず、やる気を出してもらう方法を確立している国や地域はあるのでしょうか‏? 例えば中国や韓国は日本よりはるかに厳しい受験社会ですが、あれは「夢」というアップサイドで釣るのはなくて、「競争に勝てないと転落する」というダウンサイドのホラーストーリーで煽って成り立っている印象があり、それはそれでキツそうに見えます。

高部 海外の状況はまだまだ勉強不足なのですが、私も旅したことのなる教育先進国の北欧は人がいきいき育つという意味でうまくいっている印象です。

 例えば、日本のようなランキング志向がないと聞いています。日本では何かにつけてランク付けをされて、ランキング上位を狙ったほうがいいという価値観が子どもにも大人にもありますよね。だから、夢の内容までランク付けし、大人が子どもにダメ出ししてしまう。象徴的なのは、PISA(OECD加盟国の15歳を対象した学習到達度調査)に対するスタンスです。

――日本ではPISAの読解力ランキングの結果が発表されるたびに物議をかもし、それもあって文科省は小中学校の教育政策をかなりPISAを意識したものに変えてきています。

高部 そのPISAでフィンランドは上位常連国です。ところが、フィンランドの教育省のトップは「あくまで我々の教育の『結果』であって、国内には『PISAのランキングを上げよう』という議論はない」と言っています。

――それは逆説的で、面白いですね。PISAは、社会に出たときに生活や仕事で活用する能力、それから個々人が自分の興味関心に合わせて探究していく能力を重視しています。しかし、日本みたいにランキングを重視して対策を練っている時点で、他人が作った外形的な物差しにとらわれていて、PISAで重んじられる主体性からほど遠い。だから、日本はランクが低く、フィンランドは高い。

高部 ランキングって多くは他人が決めたものですから、そこから選ばせ続けると、自分の頭で考えなくなっていきます。

 逆にランキング志向がなければ、夢があってもなくても、あるいは夢を達成しようがしまいが、他人に夢や目標を比較されることも、その達成度を問われることもない。また、それぞれが生きたいように生きればいいわけですから、ドリーム・ハラスメントは起きないでしょう。フィンランドで私が子どもたちに「将来なりたいものは?」と尋ねると、「早く大人になりたい」という返答が多くて驚きました。具体的な職業の夢はなくても、将来に希望を見いだせている点で、初期設定として教育的成功を収めている一例だと思います。

 日本でも、一方では「多様性が大事」「自分で考えることが大事」と言っています。でも実際には、教育業界はどんどん潔癖症的になっていると感じています。夢もそうですが、「わかりやすいもの」「体系的に整理整頓されたもの」が良く、「理解できないもの」「わかりにくいもの」を排除していく傾向が強まっている印象があります。先生自体が「ちゃんとしていて、愛想がよくないといけない」というふうになっていて、いわゆる「反面教師」みたいな存在が減っている。

 でも、本当は子どもだって、異質な人、簡単には理解しがたい人と一緒にいるほうが学びになるはずなんです。いろんなことを言う人、いろんなスタンスで働く人がいなくて、学校が同じような人しか採用しなくなっているから、画一的な夢を強要するという問題も起こっている。

 だから、もうちょっとそこを押し戻して、「夢とかどうでもよくない?」という大人を増やしてパワーバランスを均衡させる。それから、わかりやすく目先の結果につながらないことだって大事なんだと訴えていきたいと思っています。

高部大問(たかべ・だいもん)

1986年、大阪府生まれ。慶應義塾大学商学部卒。中国留学を経てリクルートに就職。自社の新卒採用や他社採用支援業務などを担当。教師でも人事でもなく、子どもたちを上から目線で評価しない支援を模索すべく、多摩大学の事務職員に転身。現在は大学以外にも活動領域を広げ、自らが手がける中学、高校(生徒・保護者・教員)向けキャリア講演活動は延べ56回・1万3000人を超える。また、新聞やニュースサイトでの寄稿など執筆も多数。

 

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

いいだいちし

最終更新:2020/07/24 15:00
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