大河ドラマ『麒麟がくる』のやさしい明智像は捏造か? 戦国時代を生き抜いた銭ゲバ武将の金勘定
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大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)の放送が、新型コロナウイルスの影響で中断を余儀なくされている。放送再開が待ち遠しいが、この空白の時期を使って主人公「明智光秀」についてより理解を深めてみるというのはいかがだろうか? 今回は、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が明智光秀の“金銭感覚”に迫っていく──。
謎だらけの明智光秀。しかし、なにかにつけて派手好みの織田信長の豪華衣装を発注し、彼を満足させていたなど、意外なまでに応用力とバイタリティーのある人物だったという話を前回はしました。
明智についての具体的な逸話は残っていなくても、彼が仕事や生きるために使ったお金の記録は色々と残されています。今回は、ドケチだったともいわれる明智光秀が自分自身のために使ったお金について見ていきましょうか。
戦国武将の命運を左右するのは、資金ぐりです。
政治とは、言い換えれば経営術でもあります。戦にも大金がかかります。さらに雇われ武将の明智光秀は、主君・織田信長から信頼される部下として、信長のために資金調達をし続けなくてはなりません。
そのため、史実の明智は自分の配下の者たちから、「搾取」と呼べる行いに出たこともしばしばあったんんですね。社長(=信長)には良い顔をして見せたいがため、自分の部下にはキツくあたる、ブラック企業の中間管理職が明智光秀の素顔だった……といえないこともないのです。
たとえば「明智の居城」として有名な丹波の亀山城。この築城時、110人の作業員に支払われたサラリー(当時は米を支給する形で支払いました)は、当時の平均相場を25%も下回る額だったことが知られています。
儲けのためなら、鬼にもなる……そういう明智の銭ゲバすぎるエピソードとしてもっとも有名なのは「比叡山の焼き討ち」時の所業ですね。
大河ドラマなどでは、元亀2年(1571年)9月12日の「延暦寺焼き討ち」の責任者に信長から抜擢された明智光秀は、とても苦悩したように描かれるケースが圧倒的に多いです。しかし、どうやら史実では逆。まったく苦悩がなかったとまではいいませんが、史実の明智光秀はずいぶん乗り気で焼き討ちに参加しているのでした。
「仰木(おおぎ)の事は撫で斬りに仕るべく候」、つまり延暦寺に味方する武士・仰木家の勢力は皆殺しにしてしまえ! などと書いた明智の手紙も残されていますね。
そもそもそこまで彼が乗り気だったのは、延暦寺攻めに成功すると信長から(延暦寺のある)近江国=滋賀県全域を領土として与えられる目論見があったから。そしてそれが巨額の富を彼にもたらすことがわかっていたから、といわれます。
しかし、ここからが特徴的なのです。史実の彼は「数千の屍算を乱し」といった『信長公記』の記述ほどの破壊・殺戮は行っていなかったようなのですね。すくなくとも地質調査では、『信長公記』に書かれたような規模の焼き討ちが比叡山・延暦寺で行われた形跡は一切出土していません。
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