明智光秀がスタイリストだった!? 『麒麟がくる』が描かない織田信長の“ヤンキー趣味”を紐解く
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大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK)の放送が、新型コロナウイルスの影響で中断を余儀なくされている。放送再開が待ち遠しいが、この空白の時期を使って主人公「明智光秀」についてより理解を深めてみるというのはいかがだろうか? 今回は、歴史エッセイストの堀江宏樹氏が明智光秀の“金銭感覚”に迫っていく──。
明智光秀は謎の多い人物です。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では、土岐源氏の名族出身、母子家庭で育ち、裕福ではなくとも志の高い人物として描かれていますが、確実にいえるのは彼が「ねずみ年」の生まれだったことくらい。実は父親が誰なのか、出生地についても確証がない状態です。
そんな中でも、明智光秀の実像に迫る手段は存在します。
明智がどんな金の使い方をしたか。どんな仕事をしていたのか。それによって彼の人柄は見えてくるのです。
明智光秀はもともと織田信長から非常に高い評価を受けていました。織田家内での評価ナンバーワンは明智光秀。ナンバーツーが豊臣秀吉だったといわれますね。明智が織田家で出世できたのは、信長の「天下統一」という見果てぬ夢の実現にかかる資金調達や、マネーのやりくりに長けていたがゆえでした。
戦には大金がかかりますし、信長のように京都の朝廷の「おえらいさん」と好んでやりとりしようと思えば、交際費も莫大にかかります。このため、集金能力は部下の評価に大きく影響するのでした。そう、信長からもっとも評価されていたという明智は、集金能力がたいへんに高かったということなのです。
また、明智には非常に高い「共感力」があったと筆者は考えています。自分とはまるで異なる、誰かの気持ちにも寄り添うことができる能力です。
逸話などでは明智と信長の関係は、次第に悪化していったといわれますが、少なくとも信長からは最終段階まで、明智が高評価を得ていたことが史料から推察されるのです。
それはなぜかというと、信長の奇特な”趣味”に至るまで理解できている人物として、誰よりも明智が信頼されている様子がうかがえるからなのですね。
大河ドラマでも、信長は独特のファッションセンスの持ち主として描かれることが多いです。白いシャツ姿でさらっと出てくるケース(『江』の豊川悦司)、南蛮人のような帽子にマント、足元にはブーツと完全に洋装しているケース(『おんな城主 直虎』の市川海老蔵)などなど、奇抜な先例はたくさんあります。
今年の『麒麟がくる』は、農民のカラフルな衣装が注目されるなど、衣装の独特なセンスで知られます。一方、信長に関しては保守的というか、彼がまだ若年ということもあり、突飛な服装を好むイメージはありません。ですが、これから「そういう趣味」が開花してもおかしくはない。
しかし、歴代の大河ドラマが描いてきた信長以上に、史実の信長のファッションセンスは奇抜で、しかも大金がかかるシロモノでした。そんな信長の“衣装”を担当していたのが、明智光秀だったと聞けば驚くかもしれません。
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