【ジャニー喜多川一周忌】アメリカへの歪な憧憬と平和の願い──戦後史として読むジャニーズの歩み
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ジャニーズ舞台、徴兵されて戦死するSixTONES
『少年たち』は、69年にフォーリーブスが演じた「少年たち─小さな抵抗─」を元にした舞台で、2010年にA.B.C-ZとKis-My-Ft2主演で上演されて以降はジャニーズJr.たちによって定期的に公演が打たれる、ジャニー氏にとっても思い入れの強い舞台。テレビやコンサートなどジャニーズのエンタメはさまざまだが、この舞台という表現にこそ、ジャニー氏の思想が最も現れていると、ジャニーズ研究サークルの代表が語る。
「90年の少年隊主演『PLAY ZONE MASK』や、現在も堂本光一が主演する『Endless SHOCK』の元になった91年少年隊主演『PLAY ZONE SHOCK』、滝沢秀明の『滝沢演舞城』『滝沢革命』シリーズ、『DREAM BOYS』シリーズなど演出を手がけたものはたくさんありますが、特にジャニー喜多川色が強いのは『JOHNNYS’ World』シリーズと『少年たち』、『ABC座』シリーズです。中でもやはり『JOHNNYS’ World』にはジャニーさんの世界観が相当強く出ています」
12年から始まった『JOHNNYS’ World』はいち早く戦争描写が取り込まれたジャニーズ舞台。初演版ではジャニーズの曲「裸の少年」(66年発売『ジャニーズとアメリカ旅行』収録。作詞にはメンバーの中谷良がクレジットされているが、中谷の自伝によれば、実際の作詞はジャニー喜多川氏)の歌唱シーンがあり、上半身裸のJr.が肩に銃をかけて歩くシーンが登場した。その後も、回を重ねるごとに東京大空襲、特攻隊、硫黄島、学徒出陣などのシーンが追加されていく。
また、少年刑務所脱獄の話だった前述の『少年たち』も、SixTONESとSnow Manが演じた『少年たち 世界の夢が…戦争を知らない子供達』(15年)は、主演のジェシーが徴兵され戦死するというこれまでのストーリーを逸脱した衝撃的な結末で、多くのファンを驚愕させた。同作は今年3月に映画化されたが、当初の予定では戦争描写の多いこの15年版を下敷きにする考えもあったという。しかし、予算の都合で断念したことをプロデューサーが明かしている。
「長くジャニーズの舞台を観てきましたが、12年の『JOHNNYS’ World』以降、戦争のモチーフが濃くなっていったという印象です。この背景には、12年にジャニーさんが溺愛した北公次が亡くなったことや、東京がオリンピック候補地に選出されたことなど、いくつかの要素が考えられます。17年の『JOHNNYS’ YOU&ME IsLAND』では地震や原発事故、テロなど世界中の災難について言及する中で“なんで人間は殺し合うんだろう”“明日にも隣の国からミサイルが飛んでくるかもしれないのに、のんきにしていていいのか”“平和とは何か、もっと学ばなければ”などの台詞が加わったように、その時々の世界情勢がジャニーさんの舞台演出に与える影響は小さくありません」(前出・サークル代表)
15年は戦後70年を迎えた年。世間的にもいかに戦争体験を語り継いでいくべきか議論となり、多くのドキュメンタリー番組などが作られた。世界各国でも保守政党が躍進し、国内では憲法改正の議論が巻き起こるなど時代の空気感が変わりつつあった。そんな流れをいち早く察知したのも、ジャニー喜多川氏がアーティストだったからにほかならない。
「ジャニーさんも80代になりました。堂本光一や滝沢秀明などが成長し、ジャニーズのショービジネスの部分は安心して任せられるようになったけれど、戦争については自ら語って残さなければならないと考えたのかもしれません。日常の延長であるテレビとは違い、舞台は作品としてメッセージを込めやすい。だからこそ、舞台にはジャニーさんの平和へのメッセージが色濃く反映されてきたのだと思います」(太田氏)
一方で、舞台作品そのものの評価としては、ジャニー喜多川の演出は決してわかりやすいものではなかったようだ。
「脈略がなく歌が始まったりして、いわゆる『まともな物語』からは逸脱しているんです。戦争シーンも唐突に挟み込まれるので、どの程度本気でやっているのかは謎です。それに、結局はファンも“推し”を観に行っているので、あまり内容は気にしていない(笑)。ただ、先日の参議院選挙のときには、SNS上でジャニヲタが“戦争反対をうたっていたジャニーさんの思いを考えて投票に行きたい”と言っていたことを考えると、無意識のうちに私たちの中に反戦意識が植え付けられていたのかなと思います」(前出・サークル代表)
NHKのドキュメンタリーは観なくても、ジャニーズの舞台は観るという10代は少なくない。その意味では、ジャニーズの舞台は若者が平和へのメッセージをダイレクトに受け取れる場になっていたのかもしれない。
「ジャニーズ流エンターテインメントの本質は“なんでもあり”です。ブランコあり、和太鼓あり、最新のダンスが披露される一方で、美空ひばりや服部良一の歌謡曲が普通に歌われる世界。言葉だけでなく、イメージで伝わるんです。ジャニーさんの言う平和というのは、大きく言えば“反戦”だけど、どちらかというと“平和っていいよね”というシンプルな感覚だと思います。朝鮮戦争の戦災孤児に英語を教えていたことや、ワシントン・ハイツで少年野球チームを作ったのも同じことで、子どもたちが暗い顔をしているのはよくないという考えです。今の時代に言葉にするとうさんくさく聞こえるかもしれないけど、戦後の高度経済成長前夜、つまりジャニーさんが“少年”時代に抱いた、シンプルで強い平和への思いが、これまで彼を突き動かしてきたんだと思います」(太田氏)
アメリカへの憧れが生み出した日本独自の世界観。ジャニー喜多川氏が歩んだ人生は、言うなれば戦後史そのものだ。そして戦後が終わった。これからの日本、そしてこれからのジャニーズがどうなっていくか見守っていきたい。
(文:森野広明/「月刊サイゾー」2019年9月号より)
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