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【ジャニー喜多川一周忌】アメリカへの歪な憧憬と平和の願い──戦後史として読むジャニーズの歩み

ジャニーは戦後の希望を“少年”に仮託したのか?

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ジャニー喜多川プロデュース映画『少年たち』は、当初「戦争映画」にしたかったという話もある。

 当時、ジャニー氏が住んでいたのはワシントン・ハイツ。現在の代々木公園一帯にあった、米軍住宅地である。ここで、少年野球チーム「ジャニーズ少年野球団」を結成したジャニー氏は、ある日、チームに所属する4人の少年とミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を観て感銘を受ける。その4人の少年(のちのジャニーズ)と62年に設立したのが、ジャニーズ事務所だ。

「ジャニーさんのエンターテインメントのベースはアメリカのショービジネスでしたが、ただアメリカの真似はしたくないとも考えていたのではないでしょうか。そこでオリジナルミュージカルを作ろうと考えたのです。ポジティブに言えば日米どちらにもアイデンティティがあるけれど、裏を返せばどちらにもなれないという不安定さもジャニーさんの中にはあったと思います」(太田氏)

 アメリカへの歪んだ憧憬は、日本の芸能界にもいびつな影響を与えていく。

「アメリカのショービジネスは、ステージでのパフォーマンスの対価に金をもらうというシンプルなものでした。オーディエンスはアーティストを観に行くのであって、欧米では事務所がコンセプトを考えて、衣装を決めて、メディア露出の世話をするなんてことはあり得ない。ステージごとにオーディションをして主体性のあるアーティストをそろえるという方法もあったはずなのに、なぜ少年たちを集めたのか疑問です」(橋爪氏)

 ジャニー氏はアメリカショービジネスのオーディエンス、つまり観たことがあったというだけで、その本質の体現者ではないと、橋爪氏は指摘する。確かに日本の芸能界が欧米のような成熟したアーティストではなく、未成熟なアイドルを求めるようになっていったことには、ジャニー氏の影響も大きいだろう。ではいったい、ジャニー氏にとって少年とはなんだったのだろうか?

「ジャニー喜多川の表現活動にとって最も大切な要素こそが“少年”なんです。今年、映画化された『少年たち』は、抑圧された牢獄のような世界から逃れ、自由になるため少年たちが戦う物語で、そこには希望が表現されています。ジャニーさんにとって“少年”とは、アメリカをお手本としながら戦後の日本人が獲得した個人の自由を象徴する存在であり、それはアメリカから民主主義を授けられた戦後の日本人を示しているとも考えられます」(太田氏)

 日本人でもありアメリカ人でもあったジャニー氏は、戦争に翻弄され少年時代の多くの時間を傷ついて過ごした。戦後民主主義という希望を“少年”に仮託することは、自分自身の原体験を救済するためでもあったのかもしれない。

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