トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 西寺郷太が提唱!ノートの書き方

大滝詠一絶賛の「マイケルジャクソン・小沢一郎 ほぼ同一人物説」かくて生まれた!? 西寺郷太の「ノートの書き方」

 NONA REEVESのソングライター、ボーカリストとして活躍するだけでなく、マイケル・ジャクソンやプリンスをはじめとするポップミュージックに関する執筆やラジオ出演、講義、はたまた小説・脚本まで多岐にわたる活動を行う西寺郷太。そんな西寺が自身のノート術をまとめた『始めるノートメソッド』(スモール出版)は、5月末に発売されるとたちまち重版。コロナ禍でオンライン授業やリモートワークへの関心が高まる中、アナログなノート作りのメソッドにむしろ注目が集まっている。

 PCやタブレット、スマホではなくアナログなノートならではの利点、「事実」や「タイトル」を重視する西寺流ノート術による独自の視点獲得や炎上対策などについて、著者に話を訊いた。

西寺郷太著『始めるノートメソッド』(スモール出版)

全体を意識しながら整理できる「ノートの見開き」

――西寺さんの著書を読ませていただき、なるほど、ノートのほうがデジタルツールより優れているな、と思う点がいくつもありました。例えば、西寺さんはプレゼンや講義の準備として作成するノートについて、「見開き1枚か2枚に収まるように全体の構成を考えよう」と強調しています。資料作りにしても何にしても、頭から順番に考えていくせいで詰まったりバランスがおかしくなったりする人が多いですよね。でも、長方形のノートを視覚で認識しながら「はじめ(ノート左上)と終わり(ノート右下)を見据えて、間を埋めていこう」と言われたら、アンバランスな構成に陥ることは減るだろう、と感じました。

西寺 人に自分の伝えたいことを伝える場合、一番大切なポイントは何か……。それをずっと考えてきました。まず思いつく選択肢として、ともかくシンプルにする、簡単にする、より過激にスキャンダラスにするっていうものがあって。今でもテレビやネットのバズみたいなものは、そういう流れが主流ではあると思うんですが。それだと未来がないと思うんですよね。なので、僕はラジオや大学の講義でもある程度コクのある話、長くて深い歴史を持つ話がしたいんです。その上で、できるだけ楽しくわかりやすく伝えられるように。では、どうすればいいのか。そのためには、まず全体像をざっくりと把握し、その後、各パートを分割していく。最初と最後を、見開き1ページの中でいったん決める。その思考プロセスこそが何より大事だな、と。ノート作りはプレゼンやラジオ、講義で話す直前に行う日々のルーティンになっているんですが、手元にノートがあって、見開きでその話題についていったんまとめておけば、「持ち時間30分のうち、15分でまだ片ページ終わってないな。この部分は飛ばそう」などと目で見ながら時間配分を調整できるので、便利なんです。

――パワーポイントのスライドショーだけを使ってプレゼンしていると、意識が一枚一枚のほうに向いてしまって、全体をイメージしながら配分を考えるということがおろそかになりやすいんですよね。手元にノートがあると、そこを見失わない気がします。

西寺 何もかも手書きとか、ノートにこだわっているわけではなくて、それが自分にとっては早い場合に選んでそうしているというだけなんですね。90年代からMacユーザーなんで、一日のほとんどはプログラミングしたり、キーボードに向かったりしています。音楽制作や本格的な執筆にはPCが便利なので、そのへんは柔軟に、という感じです。みんな、あまりにも「手書き」「ノート」の便利さ、効果を忘れてないですか? というだけなんで。

 で、先ほどの話に戻ると、自分がなぜそういう「全体を考えて構成する」という意識を強く持つ人間になったのかと考えてみると、僕は子どもの頃からいろんなミュージシャンが発表する「アルバム」に夢中になってきたからじゃないかと。アルバムって、まずタイトルがあって、LP時代は少なくて8曲、CDで収録時間が増えて多いと15、6曲のサイズ。それでスタートから終わりへの物語がありますよね。A面とB面の頭は元気な曲のことが多かったり、アルバムの最後はバラードで終わることが多かったり。LPやカセットテープの場合は、A面B面があって、トータル約45分までが基本単位でした。46分テープって主流でしたけど、45分に片面それぞれ少しだけ余裕を持たせてその長さになっていました。「45分」ってだいたい授業の長さと同じですよね。与えられた尺全体を意識し、分割しながら聞き手を飽きさせないように工夫する点は、アルバム文化の中で育ち、プロになって自分がミュージシャンとして「アルバムづくり」をしてきた経験の中で固まってきたんだろうな、そしてその考え方は何にでも応用できるんじゃないかって。

――プレゼンや資料、企画書作りで分量や時間配分がおかしくなりがちな人は少なくないと思いますが、全体を見通してまとめるコツは?

西寺 「ノート作りも時間の全体的なデザインだ」と思うことですね。思いついたことをただ並べていくのではなくて、気持ちのいい時間やトークの「自然な導線」を考える。例えるなら、料理をするときにみなさんが経験則で選んでいるプロセスと同じです。お腹が空いていて、カレーを作るとしましょう。ご飯をいつ炊くのか。ちょうど食べる直前に美味しく炊けるタイミングで、前もって炊飯をスタートさせる人が多いと思います。カレーが完全に煮込み終わり完成した後から、お米を洗ってご飯を炊き始めたら、ご飯だけをめちゃくちゃ待つことになりますよね。そうならないのは、自分の頭の中で「美味しく、早くカレーを食べるため」効率の良い流れを把握できているからです。

――確かに、始める前におおよその手順と時間配分のイメージをしてからやりますね。

西寺 人に何かを教えたり説明したりするのも、ある程度、経験則があれば「スタートと途中と終わり」を考えやすいんです。最後のほうにまとめてドドドと基本事項を言われても、最初に教えてくれよってなりますしね。全体を見通して大事なことと、大事じゃないことをいったん見極めて、まず最初に大まかな行き先を教えてあげる、そして、地図を渡す。これが僕が授業などをする場合のレジュメとなりますが、そういう「武器」がそれぞれに渡ると、聴く側も圧倒的にラクだと思うんです。

「制約」があるから逆算して頑張る

――なるほど。例えば、100年の出来事を10分割して語るとしても、無理やり10年区切りにするのではなくて、大きな出来事や変化ごとに区切ったほうがいいと。そういう情報の取捨選択も、「見開き1枚か2枚でまとめる」という制限があるからこそ、やりやすいですよね。プレゼンにしても勉強にしても、情報量をただ詰め込めばいいというものではないので。ノートの見開きという枠があるから整理できるし、枠があるからこそ工夫ができる。

西寺 お弁当箱があったとして、どんなものをどう並べますか、というのと似てますね。制約があるから逆算して頑張るのが人間だと思うんです。カールスモーキー石井さんが昔、「家に彼女を呼んじゃったから慌てて家を掃除する、みたいな感じでギリギリで焦りながら、〆切に対応して仕事をしてきた」というようなことをおっしゃっていたんです。僕も同じで、「いつかやりましょう」と漠然と言われても話は進まないですけど、「8月29日のマイケルの誕生日に、昨年1年間、NHK-FMでMCを担当してきたラジオ番組『ディスカバーマイケル』の本を出す」と決めたら、それに間に合わせるために必死で準備して書かざるを得ない。

――スペースや時間の制約があるからこそ、とっ散らからずに収まる、集中力が高まる、というのは面白いですね。

西寺 そこでもうひとつ大事なのは、今の世の中、とかく簡単で手軽、シンプルで短いもののほうがいいと思われがちなんですけど、どんなものでもきちんと理解する/理解してもらうには、一定のややこしさ、深さ、難しさのある情報を取り扱わないといけないということです。僕は例えば、「Black Lives Matter」のような複雑な問題についてはツイッターやインスタグラムで短く発信するのではなくて、ノートにまとめたり、自分のスポティファイ公式「GOTOWN Podcast」で伝えるようにと心がけています。

――感情的な脊髄反射に陥らずに、さまざまな問題の全体像をとらえるには一定の分量の情報量が必要で、それを扱うことにもノートは向いている、と。

事実の積み重ねから独特の視点を獲得

――西寺さんは「マイケルジャクソン・小沢一郎 ほぼ同一人物説」など独特の持論でも知られています。そういった見立ての面白さとノート術は関係ありますか?

西寺 あるはずですよ(笑)。僕がラジオや講義で語ったり本に書いたりしていることは、データに基づいていることが多いんですね。そうしたトークや原稿の元になるノートを書くときにも、個人的な気持ちではなく、できる限り事実、史実を正確に記述することを心がけています。例えば、僕は「マイケル・ジャクソンの少年虐待疑惑は嘘です、なぜなら彼は素晴らしい人物なので」と言ったことはないんです。「FBIがマイケルの少年性的虐待について十数年調べていたけれども、無罪・無実だったという捜査記録がある。ジャーナリストの追及によって公表されたが、しばらくして隠されてしまった。しかし、またウィキリークスが捜査資料を暴露、世界的にFBIの見解、つまり「冤罪だった」という結果が公開されました。では、この話を聞いてどう思いますか?」という書き方をしています。「いい人」かどうかは主観ですが、FBIがいくら調べても何も証拠が出てこなかったというのは客観的な事実です。

 もう13年前の話ですが、年号と日付、事実を並べていった結果、マイケルと小沢一郎さんの類似性が見えてきた、それが大滝詠一さんや、水道橋博士さんや、小林信彦さんに面白がってもらえた、という感じです。

――(笑)。

西寺 変テコな発想の元になる部分も、実は年号と日付、事実、データ同士を付き合わせた結果なんですね。

――独自の視点が先にあるのではなくて、事実を集めていくと、「これは!」という独自の発見につながると。

西寺 僕はツイッターを相当使っているミュージシャンの中では、炎上が非常に少ないと思うんです。それは、主観や感情を前に出すのではなくて、反論できないデータを重視しているからだと思います。これだけマイケルやプリンスについて本を書いてきましたが、事実の記載間違いを指摘されたことはありません。例えば、ライオネル・リッチー本人に聞いて情報を書き換えた、とかはありますけどね(笑)。エモーションで書くと、「ひとりよがりだ」「思い込みだ」と言われやすくなりますが、僕はデータ至上主義ですから。

「名前を付けたもの勝ち」だからタイトルは重要

――視点の話につながるものとしてタイトルがあります。本では「これから書くノートのテーマについてタイトルを必ず付けよう。なるべく先に決めて、ノートの左上に書こう」と書かれていますが、ノートを書き進めているうちにタイトルが変わることはないですか?

西寺 もちろん途中で変えることもありますし、最後に考えることもあります。あくまで原則です。今回の『始めるノートメソッド』という書名も一発で決まったわけではないんです。ノートに関する僕の最初の本が『伝わるノートマジック』(スモール出版)という書名でしたから、第2弾である今回の本は『伝わるノートマジック2』にしようかなど、いろいろ案はありました。でも、『伝わるノートマジック』と同じ文字数、同じ字面で収まる『始めるノートメソッド』に決めたんです。

 タイトルは非常に重要なんですね。こう言ったらなんですけど、世の中、大体の人は同じような価値観を感じながら生きていると思うんですよ。でも、その感覚をうまくすくって言葉にできた人が勝ちます。タイトルやコンセプトを思いついて先に名付けられた人、うまい言い方ができた人のものになるんです。

――確かに「草食系」とか、現象としては前からあったものに対して新しくくくる言葉を付けた人が、「産みの親」としてその後いろいろな媒体に呼ばれることがよくあります。

西寺 今回の本についてだって、僕よりきれいにノートを作れる人はたくさんいたと思います。でも、そこに『伝わるノートマジック』『始めるノートメソッド』とまとめて名前を付けることで、こういうノート作りのやり方は「西寺郷太のもの」と世の中の人は認めてくれるようになるわけです。もしかしたら、「こんなん、俺のほうが先に思いついてたのに」という方もどこかにいるかもしれません。でも、名前を付けて先にやった人のものになるんですよね。

 2010年の春に、仙台での小沢健二さんの復活ライブをサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんと一緒に観に行ったことがありました。そのとき、(のちに亡くなる)サニーデイの丸山晴茂さんが体調を崩されていると聞いていたので、「晴茂さん、大丈夫ですか?」と訊いたら「だいじょばない」と曽我部さんが言ったんです。僕、そんな言い方、聞いたことなかったので、大爆笑して「『だいじょばない』ってなんですか?」と言っていたんです。

 そうしたらしばらくして、13年にPerfumeが「だいじょばない」という曲を出した。あのときは「うわ! 俺もだいぶん前から面白い言葉だと思ってたのに、曲にできなかった!」と悔しかったですね。僕は曲名や歌詞には使えなくて形にできなかったけど、中田ヤスタカさんは使えた。すごいな、と。

 作詞は世の中にあふれていることをどう切り取って出すかが勝負なんですね。AKB48が「フライングゲット」を出したときもそうですね。世間で使われていたけれども、詞の世界には出ていなかったものをうまく使って言葉を再定義した。同じように、プレゼンでもなんでも聞き手の人に「なるほど」とか「そうきたか」「そういうことか」、俺は知ってたのにここまで形にできなかった、と思わせるタイトルにこだわる、「いい言葉」を見つけることはものすごく大事です。

――ノート本のさらなる続きの構想はありますか?

西寺 『集まれノートスクール』みたいな形で、このノートメソッドをムーブメントにしていきたいですね。読者が参加できるスクールやコンテストを実施したいなぁ、と。

 僕は、勉強の目的は「自分の力で思うように生きていけるテクニックを得ること」だと思ってます。自分の楽しいこと、面白いと思うことを他者にわかってもらうのって、とてもハッピーなことで。相手からも教えてもらう。それは幸せが広がる方法だと思っているんですね。僕の「ノートメソッド」は、そのための基礎として役立つものだと考えています。

 今後はみなさんにノート作りを体験していただいて、特に子どもたちも含めて、この楽しさを分かち合えればなぁ、と思っています。

西寺郷太(にしでら・ごうた)
1973年、東京都生まれ、京都府育ち。NONA REEVESのボーカリスト、メインコンポーザーを務める。音楽プロデューサー、作詞・作曲家として、V6、岡村靖幸、YUKIなどへの楽曲提供・プロデュースを行う。また、80年代音楽研究家としてマイケル・ジャクソン、プリンスなどのオフィシャル・ライナーノーツなども数多く手がける。著書に『伝わるノートマジック』(スモール出版)、『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』(新潮文庫)、『ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い』(NHK出版新書)、『プリンス論』(新潮新書)などがある。

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

いいだいちし

最終更新:2020/07/05 09:00
ページ上部へ戻る

配給映画