『チコちゃんに叱られる!』大竹まこと、往年の暴れん坊っぷりを彷彿とさせる所業! チコちゃんにペンのキャップを吹いて飛ばす
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明治初期までは「一倍」で「×2」の意味だった…変わりゆく言葉の使い方
明治初期までは「一倍」で「×2」の意味だった…変わりゆく言葉の使い方
この日最後のテーマは、視聴者から送られてきたハガキからの採用だ。ズバリ、「人一倍はなんで人二倍って言わないの?」という質問だった。詳しく教えてくれるのは、日本国語大辞典・元編集長の神永暁先生である。
実は、「一倍」という言葉は明治初期頃までは「二倍」の意味だったそうだ。例えば、リンゴ1個の一倍はリンゴ1個ではなくリンゴ2個を表していた。平安時代末期に書かれた『今昔物語集』に、わかりやすい例がある。お坊さんが金貸しになり、自分の婿にお金を貸すという物語に、「一年ヲ経ルニ借レル前ノ銭一倍シヌ」という一文があるのだ。この意味は「1年経って借りたお金が二倍になる高利貸し」だが、文中では「一倍」という言葉で二倍を表現しているのだ。だから、「人一倍頑張った」は、「他人と比べて二倍頑張った」という意味になる。
さらに、明治以前は倍のほかに「層倍(そうばい)」という表現もあった。今でいう「×1」を「層倍」と言い、「×2」を「一倍」もしくは「二層倍」、「×3」を「二倍」もしくは「三層倍」、「×4」を「三倍」もしくは「四層倍」……と表すということ。
ところが、西洋文化が日本に入ってきて「×2」は「二倍」と表すことになった。明治以前は、一倍が×2を表していたのだからややこしい。当時の人たちは、きっと混乱したに違いない。そこで、1875(明治8)年公布の『太政官布告』では、「一倍」と表記していた×2のことを全て「二倍」と表記すると定めた。わざわざ、法律で改正することか!? ……とも思ったが、数字の数え方や表し方が人によってバラバラだったら国は乱れてしまう。必要な判断だったのだろう。
なのに、今まで使われていた「人一倍」という言葉は以降もそのまま使われた。一方、一日中を表す「四六時中」という言葉は、昔は「二六時中」だったそう。子の刻、午の刻など一日を12分割していた江戸時代。昼の六つと夜の六つを合わせ、当時は洒落を使って丸一日を二六時中と表現していたのだ。しかし、1873(明治6)年に24時間制が導入されると、12を24にするため2×6を4×6に変え「四六時中」という言葉が生まれたというわけだ。
このように、明治になると西洋の思想が次々と取り入れられ、日本語に様々な影響が与えられた。西洋の思想には、それまで日本に無かった概念が多く存在するため、その概念を表現する日本語を新たに作り出す必要があったのだ。
例えば、議会や民衆の前で自らの主張を述べるSpeechという英単語がある。でも、当時の日本は、自分の意見を主張する際は紙に書いて文章で伝えるのが一般的だった。そこで、Speechの意味を説明するため、お坊さんが説法をする様子を表す仏教用語の「演説」が当てられた。この演説という言葉を現在の意味に定着させた人物は、かの福沢諭吉である。「自由(librety)」「討論(debate)」「経済(economy)」「動物園(zoo)」なども諭吉によって広まったと言われている。
ちなみに、「LOVE」には「愛」という言葉が当てられたが、元々は「愛」も仏教語で、「何かに執着する」という意味だったそうだ。現在の「愛」の意味で使われるようになったのは明治に入ってから。当時は「愛している」など直接的な表現は避けられており、夏目漱石が英語の教師をしていたときは「I LOVE YOU」を「月がきれいですね」と訳したとも囁かれている。
日本語にはカタカナがある。外来語を使う際に便利なものだ。でも、カタカナにして済ますのではなく、漢字を付けて一つの語に仕立ていく作業は凄いと思うのだ。なのに、現代人は「フィードバック」「スキーム」「ファクト」「コミット」「ストレージ」「エビデンス」「シェア」「インバウンド」と、わかったような顔をして横文字を使いがち。
「ちゃんと翻訳した言葉があるのであれば、みんながわかるように使ってもらいたいなっていう……」(神永先生)
神永先生の憂いで、「オーバーシュート」「ロックダウン」「東京アラート「ウィズ コロナ」と連呼する小池百合子都知事の顔をつい思い出してしまった。先生、その意見にはアグリーです!
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