混沌から生まれたハイな雑種――Jin Dogg擁するレーベルが提唱! ハイブリッドな“DIRTY KANSAI”
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お笑い芸人だったレーベル社長の過去
お笑い芸人だったレーベル社長の過去
そしてJin Doggのキャリアが軌道に乗ることを支えたのが、Radooだった。14年頃にレコーディングを再開したJin Doggは、イベントで知り合ったRadooの〈Blue Very Studio〉に通い始める。また、前者から「トラップ、やりましょうよ」と誘われたことでブーンバップ(90年代ニューヨークのヒップホップをベースとしたもの)だった後者のスタイルも更新、ラップ・ネームもYoung Yujiroに変わる。ちなみにRadooは高校時代からの名義で、彼は途中、「ちっちゃい頃からずっとやらなと思ってた」芸人になったことでラッパーの活動を休止。当時の漫才コンビ=裏ブラウンの相方は、漫談師“街裏ぴんく”として活躍しているという。そこにも関西文化のローカリティを感じるが、ラップ・ミュージックの世界に復帰したRadooはプロデューサー/エンジニアのNAOtheLAIZAからレコーディングの技術を学んだことで、さらにローカルで、多様で、若いラッパーたちと出会っていくことになる。「当時は……『関西といえばDOBERMAN(INC)と韻踏合組合』やと。で、その後の世代がガッと出てくるぐらいの時期やと思うんですよ」。地下のマグマの中には、第1回「高校生RAP選手権」で注目を集め、現在はWILYWNKAと名乗るTAKAもいたし、彼とHush Plantというユニットを組み、現在は〈HIBRID〉に所属しているYoung Cocoもいた。Cz Tigerも孫GONGも……書き出せばきりがないが、ほかにも東京・北区王子出身のMonyHorseも13年、14年頃には毎晩のように大阪でJin Doggと遊んでおり、その形跡は『1st High』で聴くことができる。〈HIBRID〉は名前の通りそんな混沌の中から生まれた、ハイな雑種なのだ。
あるいは関西のラップ・シーンは東京に比べれば小さいからこそ、濃く、雑多に、そしてインディペンデントになった。
Y 「東京やったら人がいすぎて派閥とかあるんでしょうけど、こっちはクルーはあってもそれぞれめっちゃ仲良いんで、逆に“飛んだり”できないというか」
B「結局、昔からいるヤツは変わらんよね。ジェイク(Jin Dogg)も20歳ぐらいから知ってるし。ほんま1個の村みたいな感じ。その中でスタイルウォーズというかみんな別々のスタイルでやってる」
Y「一方でスタジオも数えるほどしかない。ただ、豊富だったら今の〈HIBRID〉はないともいえる。誰もおらんから自分らでレコーディングしてビデオも撮って、っていうやり方になったわけですから」
J「自分たちでやったほうがこだわれるわけで、結果的には良かった」
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