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混沌から生まれたハイな雑種――Jin Dogg擁するレーベルが提唱! ハイブリッドな“DIRTY KANSAI”

混沌から生まれたハイな雑種――Jin Dogg擁するレーベルが提唱! ハイブリッドなDIRTY KANSAIの画像1――“DIRTY KANSAI”なるムーヴメントを牽引する大阪のレーベル〈HIBRID ENTERTAINMENT〉。看板アーティスト・Jin Doggはライヴでがなるようにラップし、観客のモッシュを煽る。そんな狂気じみた表現で人気の彼が属するコミュニティの実相とは――。

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大阪・日本橋商店会にて〈HIBRID ENTERTAINMENT〉の面々。取材時にはYoung Yujiro、WARKAR、Jin Dogg、Lil YamaGucci、DJ BULLSETなどが集まった。
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大阪市生野区出身のJin Doggは在日コリアン 3世。2019年末には対照的な2つの1stアルバム『SAD JAKE』『MAD JAKE』を同時にリリースした。

 真夜中のフロアにウォール・オブ・デスが出現した。“死の壁”とは、ライヴの観客が左右に分かれて曲のイントロやフックを合図にぶつかり合う、いわゆるモッシュのヴァリエーションの中でも特に危険とされるもので、ルーツは1980年代のニューヨーク・ハードコア・パンク・シーンだという。その日、パンデミックの最中にあった大阪・アメリカ村のステージにいた男も、長髪に無精髭、ボロボロの黒いハイカットのコンバースと確かにパンク・ロッカー然とした格好だったが、しかし彼はほかでもない“ラッパー”だ。そして男はトラップ・ビートの地鳴りのようなサブ・ベースの上で叫ぶ。「シニ、ザラ、セ! オマ、エ! マジ、ウル、セェ!」。人の壁が決壊し、フロアで渦巻く。これがステージの男=Jin Doggが“DIRTY KANSAI”と呼ぶスタイルだ。

 アトランタで生まれたトラップは、もともとドラッグ・ディールについて歌うラップ・ミュージックを意味していたが、2010年代にかけて同ジャンルで使われるビートのスタイル――すなわちBPM60~70台のサブ・ベースとスネアに対して、8分から32分までの間を揺れ動くエフェクトがかかったハイハットという組み合わせ――を指す言葉となっていった。またそれはジャンルを超え、ポップ・ミュージックとパンク・ミュージックという相反する文化すら更新した。今やトラップ・ビートに合わせてポップ・スターが踊り、ウォール・オブ・デスが行われる。そして後者は日本の関西地区でさらに独特の進化を遂げる。その代表がJin Doggが所属するレーベル〈HIBRID ENTERTAINMENT〉だ。

在日コリアン3世によるエイジアン・ゴシック

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〈Blue Very Studio〉の壁に飾られていた絵。

 大阪・日本橋。西の秋葉原と称される表通りにはアニメ絵が描かれた看板が並ぶが、路地裏には古い大阪の街並みが残っている。しかし細部に目をやると、朽ち果てたポストはタグやステッカーで彩られている。そんな街の雑居ビルの最上階に〈Blue Very Studio〉はあって、夜な夜なラッパーやプロデューサーが集まってくる。ここが〈HIBRID〉の拠点のひとつで、いつもはダーティな名曲が生み出されるわけだが、この日に行われたのはレコーディングではなくインタヴューだ。〈HIBRID〉の発足は2016年。オリジナル・メンバーは、ラッパーで〈Blue Very Studio〉を運営するエンジニアでもあるYoung Yujiro(以下、略称はY)、プロデューサーでHAZE WAVEとして映像制作も行うWARKAR、DJのBULLSET(以下、略称はB)、そしてJin Dogg(以下、略称はJ)。きっかけは14年頃、まだRadooと名乗っていたYoung Yujiroのスタジオに、Jin Doggがやってきたこと。当時“謹慎”が明けたばかりだったJin Doggは、トラップ・ビートにラップを乗せたくてうずうずしていたという。

 さかのぼること90年、Jin Doggは大阪市生野区に生まれた。同区は在日コリアンの集住地域として知られ、彼も3世にあたる。10歳で渡韓し、オーストラリアへの留学を経て韓国のアメリカン・スクールに入学。そこで同級生の英語のフリースタイルを聴き、初めて自分でもラップをしてみようと思ったという。ただし実際にラッパーになるのは日本に戻った後、11年のことである。「その頃はもうバッチバチのGファンク。スヌープ・ドッグがめっちゃ好きだったんですよ。“Jin Dogg”もそこから。韓国にジンドッゲ(/珍島犬)っていう伝統的な犬がいて。その綴りを“Dogg”にしました」。彼は言う。また、キャリアの初期にはちょっとしたブランクがある。「その間はいろいろあって(笑)。謹慎っていうか、家でおとなしくしとこうって。理由はしょうもないことですけどね。なんて言うか僕にいろいろと問題があって、しばらくは自粛してました」(以上の発言は筆者が17年にカルチャー・サイト「FNMNL」に寄稿したインタヴュー記事より引用)。鬱屈とした“謹慎”期間中、トラップの酩酊感にはまり込んだ彼は、16年にようやくミックステープ『1st High』をリリース。日本語・英語・韓国語を使い分けるトリリンガル・ラップにも彼の半生が表れていたが、何よりそのトラップに乗ったエイジアン・ゴシックとでもいうべき世界観が、耳が早いリスナーに高く評価された。

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