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『チコちゃんに叱られる!』レビュー

『チコちゃんに叱られる!』千葉雄大がチコちゃんに完勝!

3問目もチコりかける千葉雄大

 2問目終了後、ゲストの田中に「ダイアモンドって傷つかないの?」と質問するチコちゃん。デビュー作であり主演映画の『ダイアモンドは傷つかない』を唐突にぶっ込まれ、「言わないでそれ、知らないんだから誰も(笑)」と慌てた田中が3問目の回答者だ。チコちゃんの質問は「なんで小学生はランドセルを持っているの?」で、田中は「猫背対策」と回答、チコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねーよ!」と叱られてしまう。ちなみに、もう1人のゲストの千葉は「子どもはよく転ぶから、ガード(クッション)みたいな」と回答している。

 このテーマでチコちゃんが発表した答えは「小学生がランドセルを持つのは学習院が採用したから」だった。詳しく教えてくれるのは、日本鞄協会、ランドセル工業会会長の林州代先生。いわく、明治10年に開校された学習院は華族(当時の上流家庭)の教育を目的としながら平民の入学も許可されていた。そして、ひとつの問題が起こる。通学時、馬車で通学して荷物を使用人に預ける子どもがいる一方、風呂敷で勉強道具を持ち運ぶ子どもがいるなど、おのおのの家庭環境の差が激しかったのだ。

 そんな状況に当時の学習院は「学校は皆平等。家庭環境を教育の場に持ち込むのはよくない」と判断、学習院の生徒は学用品を自分で持ってくるように決めた。このとき、学習院は中学3年生以下の生徒に共通の通学カバンを採用する。それは当時、日本の軍隊で使われていた「背のう」という布製のカバン。両手が使え、なおかつ多くの物が収納できるという利便性から採用されたといわれている。こうして、開校から8年後の明治18年、学習院の生徒は背のうを背負い、自分の足で歩いて通学するようになる。ちなみに、背のうがランドセルと呼ばれるようになったのには理由がある。背のうはオランダから持ち込まれたもので、オランダ語で「ランセル」と言う。それが転じて、「ランドセル」という言葉が生まれたのだ。

 このランドセルが今のような箱型になったのには、きっかけがある。明治20年、後の大正天皇が学習院初等科にご入学された際、当時の総理大臣・伊藤博文が特注の背のうを大正天皇に献上したのだ。黒革が使用されたこのランドセルは「学習院型ランドセル」と呼ばれ、サイドに筆箱を収納できるデザインになっていた。ふたは今と同じように上に開くようになっていて、100年以上経過した現在でも基本的なスタイルは変わっていない。

 この学習院型ランドセルが全国で根付いたのは昭和30年代。その背景は2つある。昭和30年代は高度経済成長期で、一般の家庭も豊かになった時代だ。だから、高価な革製の学習院型ランドセルにも手が出るようになった。また、この頃から勉強道具や教科書が増え始めた。頑丈でたくさん物が入るカバンの需要が高まり、学習院型ランドセルは瞬く間に全国に広がっていったのだ。

 ほかにも、ランドセルが根付いた理由はある。まず、両手が空く。安心だし、安全だし、便利だ。あと、手提げカバンや肩掛けカバンに比べると両肩で背負うので体への負担が少ない。そして極め付きは、子どもが後ろに転んだ場合。ランドセルがクッションになって頭を打たないということ。ランドセルが子どもを守るので安全というわけだ。じゃあ、このテーマでも千葉はチコりかけていたということになるな……。地頭の良さを遺憾なく発揮する千葉雄大、さすがにノッている。

 真新しいランドセルを買ってもらったであろう新小学1年生の子どもたち。でも、新型コロナウイルスの影響で通学する機会を得られないままでいる。子どもたちが元気に通学できるようになるまで、果たしてあと何日待てばいいのだろうか?

 ちなみに、今夜は「すでにやったけど、同じ質問をいただいたSP」と題した総集編が放送予定のよう。CG制作に時間を要するので比較的ストックの多い番組だが、それにだって限りがあるはず。今後はリモート出演という形を取りながら番組収録が行われていくのだろうか?

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

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最終更新:2020/05/18 09:56
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