元祖スキャンダル編集長・元木昌彦の回想録『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』
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コロナ禍の沈滞ムードを吹っ飛ばすような、破天荒なエピソードが満載の回想録が出版された。『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)。著者は、講談社でフライデーや週刊現代の編集長を務めた、元木昌彦。マスコミが一番元気だった時代を振り返る著者の一代記は、死んで行った戦友たちへ送る鎮魂歌でもある。
この書評を書いている評者は2001年から週刊誌業界の末端をウロウロし始めた若輩者だが、年配の記者からは、いかに昔は経費が使い放題だったかという話をよく聞かされたものである。そのなかには、記者は取材対象者を追ったりするスピードが命の商売なので、タクシーを降りるときいちいち領収書をもらっていては、ネタを逃してしまう。だからある程度の金額までなら領収書やレシートがなくてもタクシー代は落ちたなんて話もあったが、この話は本書にも登場しており、講談社では3,000円までなら領収書なしでタクシー代を請求できたとか。この制度を悪用して、講談社にはタクシーに乗ってもいないのにせっせと赤伝(経費請求伝票)を書いて、豪邸を建てた赤伝長者までいたというが、それでも会社は見て見ぬふりをしていたという。
講談社のおおらかさを愛していたという著者が明かす同社のエピソードは、とにかく破天荒で景気がいい。取材のときに使える食事代や酒代は天井なし。飲み歩いていようが残業代はいくらでも落ちる。架空の出張清算や、ライターからのキックバックなどといった不正行為でもクビにならない、おおらかな時代だったというのだから世知辛い令和の世を生きる記者のはしくれとしては、羨ましいを通り越して呆れるばかりである。
だが、本書の真骨頂は、そんなバブルなマスコミの話ではなく、言論の自由、ジャーナリズムの自由のために闘い続けた、著者の編集者魂にある。「フライデー」では幸福の科学や、山口組のヤクザとも戦った著者が、「週刊現代」でヘア・ヌードブームを牽引するのも、性表現の自由を認めさせたいという、根っからの反骨精神から来ている。阪神大震災やオウム事件といった激動の時代と格闘し、あまりのプレッシャーでうつ病になった時期もあった。決して出世コースを上り詰めたわけではなく、子会社への出向なども経験しながら、「Web現代」編集長として、インターネットメディア誕生の先鞭をつける。講談社退社後はネット市民メディア「オーマイニュース」の社長に据えられるも、倒産を経験。
その後はフリー編集者として活動を続け、本サイトの連載「元木昌彦の『週刊誌スクープ大賞』」では、往年の元気を失いつつある週刊誌を毎週全誌チェックして苦言を呈する。きっと、彼は根っから週刊誌というメディアを愛しているのだろう。
平成は不況といいながら、まだマスコミも社会全体も元気な時代だった。『野垂れ死に』(現代書館)というタイトルは、そんな平成の元気な時代に、必死で働き、よく稼ぎ、よく遊んだ、愛すべきマスコミ人たちの多くが、寂しい最期を迎えたことへの著者の哀惜の念から来ている。しかし、彼らはこのコロナ禍の世界を見ずにすんだだけ、幸福だったのかもしれない。飲み歩いたり全国を飛び回るどころか、同じ都内に住んでいる相手とすらパソコンの画面越しに取材しなければならないこんな時代は、平成の豪傑たちには似合わない。
このコロナ禍の時代に元木昌彦が週刊誌の編集長だったら、どんな誌面を作ったのか見てみたかった気もするが、きっとそれは見られないほうが、かえってよかったのだろう。
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