「ちょっと落ち着きませんか?」なぜ積極的に語りかける? 平田オリザが語るコロナ禍と誤解
#演劇 #新型コロナウイルス #平田オリザ
新型コロナウィルスの影響によって、音楽ライブや演劇といったライブパフォーマンスが危機に直面している。観客が密集、密接し、さらに密閉空間で行われるこれらのライブパフォーマンスはまさに「濃厚接触」を必要とするものであり、2月下旬から自粛が求められてきた。
そんな中、さまざまなメディアに出演しながら積極的に発言を続けているのが、演出家・劇作家である平田オリザだ。この危機に直面し、主宰する劇団「青年団」でも海外公演が中止となり多額の負債を背負うことになったが、そんな状況にあってもなお、彼は人々に対し文化の重要性を語り続けている。
コロナ禍の最中となる3月に発売された新著『22世紀を観る君たちへ』(講談社現代新書)では、日本の教育制度を軸にして、これからの日本を生きていくにあたって必要な学びの姿を描いた。彼は、いったいどのような未来を見ているのだろうか?
「誤解」が自粛を生んだ
──平田さんは、新型コロナウィルス騒動に直面し、自粛を余儀なくされている現在の文化の状況について、どのようにご覧になっているのでしょうか?
平田:今回の騒動では、最初期に演劇や音楽のようなライブエンターテインメントが打撃を受けましたよね。しかし、この中には誤解も含まれていた。ライブハウスが最初にクラスタになってしまったため、ライブエンターテイメント全体に批判が寄せられましたが、そもそもライブハウスの業態は飲食業に当たります。一方、劇場や音楽ホールなどは、業種としては別のものです。
劇場には、興行場法に基づいて厳しい換気の規制がなされており、僕が芸術監督を務める「こまばアゴラ劇場」でも、CO2や粉塵などの検査を年に2回行っている。一方、ライブハウスは飲食業なので、食品衛生検査などを徹底している。そのような違いがあるのに、一般には理解されず、一緒くたに扱われてしまった。
──同じ多くの人が集う空間であっても、業態が異なり、密閉の度合いは異なっていた。
平田:はい。2月下旬には大規模イベントの自粛要請が出されましたが、そもそも大規模の定義も曖昧でした。演劇業界で言えば、1000人以上が「大規模」という感覚なのですが、一般の方からは50~100人規模の公演であっても「大規模」とみなされてしまう。また、感染が拡大している地域なのか、抑えられている地域なのかという違いもあります。
つまり、人数・地域・業態など様々な要因から立体的に考えて判断すべきなのに、今回の件では、多くの人がその冷静さを失ってしまった。その結果、比較的感染しにくい劇場のような場所でも自粛を迫られることとなったんです。結果論と言ってしまえばそれまでですが、実際に、上演を続けた劇場もクラスターにはならなかった。
日本がそのような状況の中、お隣の韓国でも劇場がクラスターになっておらず、より多くの演劇が続けられていました。その一方、韓国でクラスターになったのは新興宗教の集会。そのため、宗教がスケープゴートにされ、新興宗教のみならず多くの宗教の集会が禁止されています。
このように、各国においてスケープゴートとなる施設は異なります。そして、一時のスケープゴートであった以上、あとからでも救済措置がとられなければならない。この救済措置を得るために、今から声を上げる必要がある。これは、多くの人から叩かれたり批判の声を浴びたりと、正直嫌な役回り。しかし、後出しジャンケンではどうしても効果が薄くなってしまうので、渦中において声を上げていかなければならないんです。
──やはり、批判は多いんですね……。多くの人は、芸術文化に対する補償を「貧乏だから補償してくれ」という意味に誤解しているように見えます。
平田:それはきちんと分けて考える必要があるでしょう。憲法25条では「健康で文化的な最低限度の生活」が定められており、国が保証しなければならないとされている。「貧乏だから」は「最低限度の生活」に当たる部分で、芸術家も含め、国民が等しく保障されなければならない。一方、今回の騒動では、文化よりも健康を優先せざるを得ない事態となり、国民が文化を享受する権利が制限されました。これは健康を守るためにやむを得ないことですが、文化を享受する権利を奪われたのだから、コロナからの回復期には補われなければならない。そのために、芸術文化に対する支援を行う必要があるんです。
「レジスタンスの時代」に突入した
──では、いったいなぜ平田さんがそのような発言を続ける必要があるのでしょうか? 先程おっしゃった通り、批判の矢面に立つリスクを抱える損な立場ですよね。
平田:誰かがやらなければならない役回りですからね。役を演じるのは演劇人の仕事です(苦笑)。
なぜこのようなことをしているのかといえば、ひとつは成り行き。僕の場合、親から受け継いだ「こまばアゴラ劇場」を20代の頃から経営してきました。劇場を運営していると、「人々にとって必要な演劇とは何か?」という、演劇や芸術の公共性を意識するようになります。たまたまそういう人生を、巨額の借金とともに背負ったため、現在のような状況に直面した時に、演劇の公共性について発言する習慣がある。
もうひとつは、海外で演劇活動を行っていると、日本において演劇の社会的な地位が極端に低いことに気づきます。これは、単純に悔しい。そのため、少しでも演劇の地位が上がることをしなければならないと感じてきました。もちろん、これはコロナ禍の間だけでなく、長期的に取り組んできたことです。
──平田さんは劇場の支配人である一方、劇作家・演出家という芸術家でもあります。芸術家個人としては、どのように考えているのでしょうか?
平田:小津安二郎の映画『秋刀魚の味』の中で、笠智衆演じる父親とその旧友が「(戦争に)負けてよかったんじゃないか」「馬鹿な野郎が威張らなくなっただけでもね」という会話を交わします。このセリフに近い感覚が自分の中にありますね。
ここで言う「馬鹿」とは、学校の成績や学歴のことではもちろんありません。知性はあらゆる職業に偏在している。もちろん軍人にもです。問題は、歴史のある瞬間から、データやエビデンスを軽視して「為せば成る」といった精神論がまかり通るようになる。こういった精神論を振りかざす人々を小津さんは「馬鹿」と呼んだんだと思います。僕は、自分の作品を通じて、「威張っている馬鹿な奴」をたくさん描いてきました。私自身は、そういった社会ではなく、知性と理性に基づいた社会が持続した方がいいと思っている。そのためには、世の中が感情的になっている時に「ちょっと落ち着こうよ」という人が不可欠です。その点では、普段、人間の感情を扱っている劇作家の役割は大きいと思います。
──しかし、人々の感情を描くのが劇作家なのでは?
平田:感情を扱う仕事だからこそ、感情に対して客観的であらねばならない。劇作家、あるいは文学者も同じかもしれませんが、その仕事は、月から望遠鏡で地球を見つめるような作業。月と地球という距離を保ちながら、解像度の高い望遠鏡で、人々の小さな営みや怯えのような感情、ギスギスした関係性を見つめていく仕事だと思っています。
──近年、平田さんは「レジスタンスの時代」であると発言しています。平田さんの積極的な発言の背景には、そんな時代に対する危機感も関係しているのでしょうか?
平田:そうですね。最初に「レジスタンスの時代」を意識したのは、日本維新の会が大阪市と大阪府を抑えた2011年でした。当時、私は、大阪大学の教授として仕事をしていたのですが、維新の登場を境にして、市や府の職員が何も発言できなくなってしまったんです。「ああ、このようにファシズムは広がっていくのか」……と、本当に実感しました。
彼ら公務員に対して、「嫌なら辞めればいい」というのは簡単です。しかし、彼らも家族を養ったり、住宅ローンを抱えていたりする。そのような個々人の生活を犠牲にして発言をすることは困難です。だから、発言できる人が発言し、それぞれができる部分で抵抗をしていかなければならないと考えています。発言できない人を、「なぜ発言しないのか?」と追い詰めてはならない。
──維新の躍進から9年を経て、そんな流れは全国的に拡大しているのでしょうか?
平田:広がりつつはありますが、日本はまだ民主主義国家を保っており、ポイント・オブ・ノーリターンには来ていない。そこまでヒステリックにならないほうがいいというのが僕の立場です。
日本には、右にも左にも属さない分厚い中間層がいます。彼らは、現政権を支持しているわけではないし、彼らの10~20%に対して言葉を届けることができれば、情勢はひっくり返る可能性がある。けれども、今の野党やリベラル勢力の言葉は、彼らに届いていません。
──それは、野党やリベラル勢力が言葉を届けようとして失敗をしている、ということ?
平田:いえ、そもそも届ける気がないのだと思います。日本の左翼はこれまで、党派性が強くて自分の仲間に届く言葉でしか語ることができなかったから。
これまで長く僕は、教育の世界で「シンパシーからエンパシーへ」という問題を語ってきました。「シンパシー」とは、自然に湧き上がってくる同情のような感情であり、仲間内に対する感情です。一方「エンパシー」は、異なる価値観や文化的背景を持つ他者の言動を理解していくこと。このエンパシーが日本ではとても弱いから、仲間の外に届く言葉を使うことができなかいのではないかというのが、私の作業仮設です。
──これまで平田さんは、親しい人同士のおしゃべりである「会話」と、異なる価値観や背景を持った人との価値観のすりあわせである「対話」を区別し、日本ではこの「対話」という概念が薄いと分析してきました。そもそも、25年前に書かれた演劇論『現代口語演劇のために』(晩聲社)の時点から、主観を断念し、論理を重視することの必要性を語っています。平田さんの思考の根底には、これらの本質にある「仲間内」を越えて価値観の異なる他者とどうつながるか、という問題意識が関わっているんですね。
平田:その意味では、自分はあまり進歩していないのかもしれない(苦笑)。シンパシーは感情ですが、エンパシーや対話、論理といったものはリテラシーとして身につけるものであり、そう簡単に得られるものではありません。そのため、教育が必要になってくるんです。
「コロナ後」も、何も変わらないかもしれない……
──新著『22世紀を見る君たちへ』は、演劇とともに平田さんが長年携わってきた教育について、大学入試改革の問題点や、これからの学びの姿などが記されています。平田さんは、教育の先にどのような未来を考えているのでしょうか?
平田:一言で言えば「自分のことを自分で考えることができる」という未来。新型コロナウィルスのような危機に直面しても、科学的な情報を得て、自分なりに分析して答えを出す。そんな「自分で考えられる市民」を育てていくことが教育における一つの役割でしょう。
イギリスには「市民化教育」という言葉があります。「市民を作る」というと、とてもエラそうに聞こえますが、本来、民主主義国家における教育の役割は「よき市民をつくる」こと。ここで言う市民とは、自分の頭で考えられる「自立した市民」のことなんです。
今回の問題で言えば、感染するリスクを減らすためには、家に閉じこもることがベストですよね。しかし、そうした場合に、経済、運動不足、DVなど、他のリスクが高まってしまいます。私たちの暮らしは常にいくつものリスクとトレードオフのうちに成り立っており、「命か経済か」という2択で判断できるものではありません。様々な要因のうち、どれを、どの組み合わせで選択するかを考えて行動をしなければならないんです。
──では、このコロナ禍が収束した後、日本はどのようになっていくと思いますか?
平田:実は、あまり変わらないのではないかという気がしています。東日本大震災の後「大量生産、大量消費の時代は終わった」「都市機能が分散される」といったことが語られましたが、気づいたらまた元通りになっていた。
今回の騒動で、人々が密集する東京が持つリスクの高さが明らかになりました。しかし、東京への一極集中は止まらないでしょう。また、イタリアやアメリカなどでは、医療費の削減や無保険といった新自由主義的な考え方がパンデミックを拡大させることも明らかになっています。日本でも、新自由主義的な考え方が広まっていますが、これも喉元をすぎれば熱さを忘れてしまうはず。
自分としては、そんな状況に対して一矢報いたいという気持ちはあります。全体の状況をガラッと変えるのは難しいかもしれないけれども、小さな希望の明かりは灯し続けていきたい。
日本は小さいながらも南北に細長く、気候的・文化的な多様性を持っている国であり、この先、その多様性を生かしていかなければならないと感じています。昨年、家族で兵庫県豊岡市に移住したのですが、一極集中していく東京からではなく、豊岡から希望の明かりを灯していきたいと思っています。
──では、平田さんが生まれ育った東京の未来については?
平田:ウイルス禍と東京オリンピックで予算を使い果たしたら、おそらく、タワーマンションの高層階に住んでいる人々にとってのみ居心地がいい場所になるのではないかと危惧しています。私の生まれ育った駒場という町は、まだ商店街がかろうじて残っています。東京には実はまだ、そういった街並みが残っているのですが、今回のウイルス禍で、そういった小規模商店が壊滅してしまうと、本当につらいことになる。
それから、『22世紀を見る君たちへ』にも書いたように、特に、東京においては公教育がすでに崩れてしまっている。地元目黒区の駒場小学校では7~8割の子どもが中学受験をして、地元の公立中学校に進学するのはわずか。小学生でも地下鉄に乗って通学するのは当たり前になって、顔を見てもどの家の子供かわからなくなってしまいました。
『22世紀を見る君たちへ』では、これでは災害があったら持たないのではないかと書きましたが、それが予言のように当たってしまった。多くの子供たちが地元を離れて通学する東京だけは、中学・高校の再開が遅れるでしょう。
地域社会が薄れ、公教育が崩れるなど、東京に暮らす人々には「公」という意識が薄くなりつつあります。こんなとらえどころのない都市は、日本だけでなく世界的に見ても珍しい。東京だけが悪い意味で特殊な街になってしまっているんです。東京から100万人くらい人口が分散すれば変わるかもしれませんが、望みは薄いでしょう。残念ながら、今後、東京を取り巻く環境は、ますます厳しくなっていくと思います。
平田オリザ
1962年、東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在、四国学院大学社会学部教授、東京藝術大学COI研究推進機構特任教授、大阪大学COデザインセンター客員教授。2002年度から採用された国語教科書に掲載されている平田のワークショップ方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇を創る体験をしている。戯曲の代表作に『東京ノート』(岸田國士戯曲賞受賞)、『その河をこえて、五月』(朝日舞台芸術賞グランプリ受賞)、『日本文学盛衰史』(鶴屋南北戯曲賞受賞)、著書に『演劇入門』『演技と演出』『わかりあえないことから―コミュニケーション能力とは何か』『下り坂をそろそろと下る』(以上、講談社現代新書)、『芸術立国論』(集英社新書)、『新しい広場をつくる―市民芸術概論綱要』(岩波書店)、小説『幕が上がる』(講談社文庫)など多数。
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