激化する「キャンセル・カルチャー」で仕事を失うコメディアン、“失言ポリス”の正義を問う『クリス・デリーア苦労知らず』
#スタンダップコメディ #Saku Yanagawa
自身3作目となる最新作。ミネアポリスで行われたソロツアーの模様を収録し、バカバカしいイルカのジョークやコメディアンの発言の自主規制についてノンストップで語りまくるキャリアの最高傑作。
クリス・デリーア
1980年、ニュージャージー州出身。スタンダップコメディアンとしてComedy Centralなどにも出演する傍ら、俳優としてもNBCの『ホイットニー』などのシットコムなどに出演し活躍の場を広げる。脚本家としても多数のクレジットがありマルチな才能を持つコメディアン。
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多くのコメディドラマにも引っ張りダコで今まさに脂の乗りきったクリス・デリーアの最新作『苦労知らず』が先日Netflixで配信された。名門ニューヨーク大学の演劇学部出身の彼は作品の中でも、ふんだんに芝居の要素を盛り込む演技の巧みなスタンダップコメディアンだ。
これまでの作品でもクリスは「粗野で一見、教養のない白人男性」という“マスク”をまとい、日々のくだらない出来事や、下ネタ、そして自分の無学さをジョークにしてきた。その口ぶりや立ち居振る舞いも、敢えて品性を欠くキャラクターを演じているように映るが実際のところは本作の中盤でも暴露されるとおり、酒もドラッグもまったく口にしたことのない真面目さを持ち合わせており、作品の構成も細部まで計算されているように感じる。
ミネアポリスの劇場で行われた本公演も、いつものようにくだらないオブザーベーションユーモア(人々を観察してネタにするジョーク)ではじまり、会場も熱気に包まれた。
終盤にさしかかりクリスは、自身のそれまでのジョークを総括するようにとうとうと語り始める。
「おかしな世の中だ。みんなすぐ気分を悪くする。そしてコメディアンを炎上させようとするんだ。でもそうしていると喋れるネタの範囲が次第に狭まっていって、しまいには僕らは舞台の上でただ奇声をあげるだけになっちゃうよ」
そして語気を強めるとこう締めくくった。
「だから僕は舞台上で言ったことにもし、観客が腹を立てても決して謝らないと決めたんだ」
近年アメリカでは「ウォーク・カルチャー(Woke Culture)」が高まりを見せている。このWokeはWake、つまり「目覚め」の黒人訛りを語源とし、差別に敏感な文化のこと。こうした言葉が頻繁にメディアで取り上げられるようになった発端は、白人警官による相次ぐ黒人への暴行に対してのBlack Lives Matter(黒人の命も大切)運動で、それ以後も性的暴行やセクシャルハラスメントを告発した#MeToo運動などで広く知られることとなった。
そしていま、更にこのウォーク・カルチャーの流れがひとつの変容を見せている。
差別的な現状に「目覚め」た人々が実際に行動を起こし、その差別的な人物や組織を糾弾しやめさせようという「キャンセル・カルチャー(Cancel Culture)」へと発展したのだ。その結果、過去のSNSでの投稿までもが掘りかえされ、多くの著名人が仕事の機会を失った。とりわけコメディアンの過去の発言は、恰好の餌食となった。たとえばケビン・ハートは10年以上前のゲイを揶揄するたった数行のツイートで、すでに発表されていたオスカーの司会を辞退せざるを得なくなった。
もちろん「#MeToo」などに見られるおぞましいセクハラや、当時ではあげられなかった「声」が今の時代になりようやく届くようになったことは賞賛されるべき変化だ。だが、行き過ぎたキャンセル・カルチャーはいま、アメリカでも大きな問題となっている。自身の「正義」を振りかざし、過去の失言を取り上げては炎上させ、今のポジションから引き摺り下ろし、まるで鬼の首を取ったかのように振る舞うことは、およそ差別そのものの根絶には繋がらない。
日本のメディアでしばしば「アメリカはなんでも言える自由な社会」というような言説を目にする。むしろ今、アメリカは日本よりよっぽど”敏感”だ。そしてクリス・デリーアの言うようにスタンダップコメディアンという仕事は今の時代の「一線」がどこかということにもっとも”敏感”でなければならない。だからこそ絶えず勉強しなければいけないし、無学ではステージに立てない。
オーディエンスもそういったジョークに対しての「覚悟」がいるし、時にコメディアンの発言の真意を受け止めハッとした気づきを享受することも求められている。それゆえアメリカではスタンダップコメディアンとオーディエンスが「対峙している」と表現される。
ウォーク・カルチャー下のSNS時代、コメディアンとオーディエンスの双方が「目覚め」なければならない。
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