クルーズ船で感染者ゼロ、「戦場の霧」と戦う自衛隊式4つのシンキングプロセス
#自衛隊 #新型コロナウイルス
新型コロナウイルスの集団感染が起こった巨大クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」で検査等の支援活動を行った自衛隊が、1人の感染者も出さずに活動を終えたことが話題となったことは記憶に新しい。また、クルーズ船から感染者を受け入れた自衛隊中央病院(東京都世田谷区)が公表した新型コロナウイルス感染症の症例が医療関係者から歓迎されたほか、陸上自衛隊がYouTubeの広報チャンネルで紹介した「クルーズ船でも感染者ゼロ『自衛隊式感染症予防』」も多くのニュースやSNSで取り上げられており、自衛隊発の知識が広く感染防止に貢献している状況だ。
阪神淡路大震災と東日本大震災を経て、国民の生命インフラの最後の砦と認識されるに至った自衛隊だが、さりとて、自衛隊も当初から新型コロナウイルスへの対処方法を持っていたわけではない。
ダイヤモンド・プリンセスの現地対策本部で副本部長を務めた防衛省の町田一仁審議官は、NHK政治マガジン「クルーズ船 自衛隊は何をしたのか?」の中で、新型コロナウイルスについて、「聞いたことがない感染症の名前だったし、『これからここに入っていくのか』という、怖さがあったのは、正直な感想です」と心の内を明かしている。
社長の頭で考える社員を育成する「任務分析」
では、新型コロナウイルスについて、当初は一般人と同じ程度の認識しかなかった自衛隊は、いかにして感染者ゼロという実績を残すことができたのだろうか。そこには、自衛隊が70年以上かけて培ってきたシンキングプロセスがある。
まず、自衛隊では作戦や災害派遣などの任務に着手する前に、「任務分析」というプロセスを行う。
ここでは全体の状況の中で置かれた自らの地位と、作戦全体の中で担うべき役割をよく検討して、自らの「目標」を具体的に設定する。任務と目標の違いは、任務は命令で与えられるものであるのに対して、目標は任務が示された背景を理解して“自ら設定する行動指針”と考えると分かりやすいだろう。
なぜ、このようなシンキングプロセスをとるのか? 「戦場の霧」と呼ばれる不確定要素が漂う中で任務を遂行する時、予測もしていなかった場面に遭遇したり、判断に迷う場面で上官の指示を仰ぎたくとも通信が断絶していたり、はたまた上官が戦死していたりすることが十分にあり得る。このため、与えられた任務の表層を理解するだけなく、自らの任務が組織の目的からどのように細分化されてきたのかという背景を理解して命令や指示がなくとも目的達成のために行動しなければ、勝利も生き残りもおぼつかない。
このようなシンキングプロセスについては、経営学の世界では、「全社戦略」「事業戦略」「職能部門戦略」という階層で構成された「ビッグピクチャー」という概念で表されており、MBA(経営学修士)教育ではビッグピクチャーを把握する、つまり、部分にこだわらずに全体を把握することが強調される。任務分析を経営学的な言葉で表せば、ボトムからトップをレビューしてポジショニングを確立する作業と言い換えられるだろう。
ここで、ある港に寄港したクルーズ船内で未知の感染症が発生したと仮定して、任務分析をシミュレーションしてみよう。
「未知の感染症を引き起こすウイルスの上陸を阻止することによる国内での発症防止」を「目的(最終的な到達点)」とする政府は、自衛隊に「ウイルス上陸阻止のために船内で活動する医療関係者の支援」を任務とする対策部隊の編成を指示した。
新たに編成された対策部隊は、「乗船する医療関係者への防疫」と「船内での感染症拡大防止」を任務とするふたつのチームを設置。その中のひとつ船内感染症拡大防止チームのリーダーであるA曹長は、チームの目標を「ゾーニングの徹底、特にゾーンを移動する乗船者を統制することによって船内での感染症拡大防止に寄与する」と定め、部下の若い班員に、「判断に迷う場合はこの目標に合致しているか否かを第一に考えて行動せよ」と指示した。
しばらくして、汚染区域と清潔区域の間で立直するB士長の目の前に汚染区域から母子が現れた。母親は、額から血を流す小さな子どもを抱きかかえており、「船の階段から子どもが転げ落ちた。頭を強く打って意識がなく、出血もしている。清潔区域にある医務室に行きたい」と興奮して涙ながらに訴えている。
さて、B陸士長はどう対処すべきであろうか。普通に考えれば、意識不明の子どもを急いで医務室に運んで医官に見せるべきだろう。もし、B士長がA曹長から特段の留意事項なく、人の移動を統制するように命ぜられていたら、彼は母子を急いで医務室に案内していたに違いない。
しかし、B陸士長が所属する船内感染症拡大阻止チームの目標は、「ゾーニング(隔離処置)の徹底、特にゾーンを移動する乗船者を統制することによって船内での感染症阻止に寄与する」ことだ。さらにA曹長は説明の際、「任務と目標をだけでは判断に迷う場合には、上位組織の任務、その上の組織の任務、ひいては最終的な目的に合致しているか否かで判断しろ」と付け加えていた。
B士長は考えた。感染症を患っている可能性を否定できない母子を清潔区域に入れることは、対策部隊の任務である「船内での感染症拡大防止」の達成を阻害するのではないか。更には、政府の目的である「未知の感染症を引き起こすウイルスの上陸を阻止することによる国内での発症防止」に反するかもしれない。だが、目の前には一刻を争う子どもを抱きかかえた母親が泣き崩れている。
心を鬼にしたB陸士長は、左手で母子を制止したまま、右手で無線機のプレストークを押して医務室を呼び出して医官の急派を依頼した……。
このように最上位者から末端までが、目的に向かって目標のベクトルが一致した状態を「目標系列」という。組織が何を目的としているのか、その目的達成に資するために自分は何をすべきかという任務分析は、この目標系列を作り出すための重要なシンキングプロセスだ。
シミュレーション上のB士長は、しっかりと任務分析を行ったA曹長のおかげで、船内感染を拡大させずに済んだ。しかし、オペレーションに正解はない。存在するのは、次々と出現する新たな状況にどう対処するのかという現実だけである。
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