『チコちゃんに叱られる!』今夜は通常放送も、岡村隆史がポロリ「NHKに入られへん」
#NHK #西山茉希 #岡村隆史 #チコちゃんに叱られる!
『麒麟がくる』で重要な役を演じる岡村隆史が回答
「この中で一番歴史に詳しい素敵な大人はだ~れ?」という呼び掛けに応えたのは、三河の忍び・菊丸として大河ドラマ『麒麟がくる』へ出演中の岡村だった。
チコちゃん「なんでお城の屋根にしゃちほこがのってるの?」
岡村「上から来る奴(敵)を来させにくくするため」
もちろん、この答えは不正解。続けて、西山が答えを発表した。
「その城を“獲ったどぉー!”と勝った(攻め落とした)ら取れるやつ」)
落城を前提にしてあんな物体をわざわざ屋根にのせないと思うが……。人の問題を奪っておいてあんまりな答えを提示する西山、絶好調である。
チコちゃんが発表した答えは「織田信長へのリスペクト」だった。詳しく教えてくれるのは広島大学名誉教授の三浦正幸先生。『麒麟がくる』の建築考証も手掛けている、お城のスペシャリストである。
「初めてお城にしゃちほこをのせたのは織田信長の安土城だといわれています。現在、我々がお城だと思っているものは、実は信長が作り出したものなんです」(三浦先生)
現在、安土城は城址が残っているだけで、その姿を見ることはできない。
「色まで付けて復元図を作ったのがありますから。フルサイズで30何MBあります」(同)
ドヤ顔の先生だが、フルカラーで30何MBってあんまり大したことないな……。まあ、それは置いといて、そもそも城というのは敵の攻撃から身を守るための要塞で、信長以前の城は山の地形を生かして敵の攻撃を防ぐ山城が主流だった。だから、しゃちほこどころか高い石垣や天守のない非常に粗末なものが多かった。城の立派さを見せつけて相手を屈服させようと信長が新しい概念を持ち込んだ安土城は、革命的な城だったのだ。
では、なぜ信長は安土城にしゃちほこをのせたのか? 実は、信長は中国文化に傾倒していた。中国の皇帝が住む宮殿の屋根には、龍がのっていたことにヒントを得たのでは? というのが三浦先生の推測だ。でも、その龍には胴体がなく、首から上だけだと、武士にとっては打ち首みたいで縁起が悪い。そこで信長が目をつけたのがしゃちだった。しゃちは頭が虎もしくは龍で、胴体が魚という中国の空想上の生き物である。しゃちを屋根の上にのせたとき、尾っぽを上のほうにせり上げると威勢がよくて格好がいい。しかも、中国の「矛(ほこ)」という武器に似ているので、これに「しゃちほこ」という名前が付いたのだった。
理由を聞けばなんとなく納得だが、城を造る大工は「なんでこんな物を屋根の上にのせなきゃいけないんだ?」と意味もわからず置いていたのかもしれない。ちなみに、このしゃちほこは、火事のときに水を出して消火するという伝説もある。
そして、3年がかりの工事を終えて1579(天正7)年に安土城は完成する。日本で初めてしゃちほこがのった城は天下統一のシンボルになるはずだったが、その3年後の1582(天正10)年に本能寺の変で信長はこの世を去った。そして、同じ年に安土城の天守は焼失した。
天下統一の夢を果たせなかった信長の思いを引き継いだのは豊臣秀吉で、秀吉は城を造るときに安土城スタイルを採用した。こうしてできた大阪城にはしゃちほこがのっており、自分こそが信長の継承者であると知らしめたのだった。また、秀吉に従う大名たちにも、しゃちほこがのった城を作るよう命じた。これは言わば、信長に対してのリスペクトの表れということだ。まあ、リスペクトというより、信長の威を秀吉が借りていたと思えなくもないが……
あと、話を聞いていると「なぜしゃちほこがのっている?」というテーマの答えは秀吉→信長のリスペクトではなく、最初にのせた信長の思い(中国への傾倒)が正解に当たるのでは? と思ったりもする。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事