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日刊サイゾー トップ > 社会  > リオのカルナヴァルに学ぶ希望
ブラジル・フォトルポルタージュ【後編】

巨大祭典「リオのカルナヴァル」から学ぶ、人種の多様性がもたらす希望とは?

ブラジルに学ぶヒント②「国民より強い権力を許さない」

 政府やメディア、企業や学校に問題があれば、時に団結してものを言い、戦うことが普通。これはブラジルに限らず、世界共通のことです。政府や行政、そして企業などの権力から独立し、自由度を確保している地元自治共同体を持つブラジルでは民衆の力が本当に強いのです。当然、税金や年金は権力者へ上納する年貢ではありません。「民衆より強い政府はいらない」というのが自然な考えなのです。封建制支配を倒し、民主主義を勝ち取ったフランス革命以降、「本当に近代化を果たした国家と国民」であるならば、当たり前のはずですね。

 「政府や大統領、政治家、メディア、企業の不正への抗議デモ活動は一般市民の権利と安全を守るために必要な行為」であるという共通認識が社会にあります。「批判のための批判」ではなく、必要な批判、時に必要な戦いがあるわけです。日本ではどうでしょうか?

 「御上」(おかみ)=権力者に無条件で疑いを持たず従順に生きるという社会風潮が歴史的に強いとされる日本。その社会体質史と問題を同時に検証する必要があります。日本で「天皇陛下は神様ではない」という“人間宣言”がされたのは1946年、第二次大戦敗戦後のことです。それまで政府や国民が天皇を神格化していた社会体制であったことが世界中に知られ、とても驚かれました。そして戦後も日本の教育は「ひとりひとりに独自性や疑問を持たせない、体制に従順で波風たてない人こそが正しい」という支配者に都合のよい危険な状態が続いてきたのではないでしょうか。敗戦後の体制がどのように作られてきたのかを今こそ、よく再確認する必要があるのかもしれません。

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