巨大祭典「リオのカルナヴァル」から学ぶ、人種の多様性がもたらす希望とは?
#ブラジル #フォトルポルタージュ
「いざ」というときに助け合い、早急に対応できる社会とは?
〈前編〉では3月に閉幕した世界最大の祝祭「リオのカルナヴァル2020」の実情を現地より一次情報でレポート。今年話題となった痛烈な「政治腐敗の歴史~現政権の汚職告発」というテーマのサンバでパレードしたチームを紹介しました(https://www.cyzo.com/2020/03/post_234402_entry.html)。未読の方はぜひチェックしてください。
〈後編〉はブラジルの「カルナヴァルという歴史的な自治社会運動・共同体文化の象徴」から、私たちの住む日本のコミュニティのあり方について考えるための、具体的なヒントを探り出したいと思います。
日本に住む私たちは今、「新型コロナウイルスと、対応の遅すぎる政府による二次災害」という未曾有の危機を生き抜かねばならない状況にあります。海外では先進国を中心に、迅速かつ強制力のあるロックダウンと補償がされています。一方、1月に発生したダイヤモンドプリンセス号の騒動以降、欧米より早くコロナウイルスの危機にさらされたにもかかわらず、日本政府・企業の驚くべき危機対応の遅さ・悪さ、為す術のない国民の姿がここにあります。そして政権に忖度して独立性を失ったメディア、そして中途半端なロックダウンで、都市圏はいまだ電車出勤が続いたり緊張感がなかったり、政府の補償のなさによって国民は不安と困窮に陥っているのではないでしょうか。
一方、私たち国民の問題も浮き彫りになっているのではないでしょうか。特に1970年の第二次「安保闘争」以降、日本国民は政治や社会への関心を失い、民主力が弱体化してしまったのではないでしょうか。それは国民のための政治家を選出するはずの選挙での投票率の低さにも表れています。日頃から社会・政治問題に責任感と関心を持ち、真実と正義を守るために話し合うことさえ、タブー化してしまった空気の社会・国民性になったことも、今回の二次災害的な状況を作り出している原因の1つと言えるかもしれません。
今、私たちは「何が問題で、何を必要としている」のでしょうか。それは「迅速な判断と対応ができる政府・行政・企業・国民」であるとは、みなさん周知の通りだと思います。ここまでの有事になって、日本社会が持つ歴史的体質に起因する問題が多発しているのではないかと考えます。
日本、ひいては日本人の歴史的問題を江戸末期よりひとつひとつ見つめ直し、改革・再構築する必要があるのではないでしょうか。本稿では「『いざ』というときに助け合い、早急に対応できる社会とは?」と題し、“ブラジルの社会や人生のあり方”“自立・独立した個人による民主主義のあり方、人間関係の作り方”を紹介し、少しでも読者のみなさんが元気にポジティブに進むキッカケにしていただけたらと思います。
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