『チコちゃんに叱られる!』五輪延期も、賛否の岡村嫁探し企画は終了?
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台東区が三角サンドイッチの発祥の地
最後のテーマは「なんで三角形サンドイッチが多いの?」。チコちゃんが発表した答えは「茂が斜めに切ったから」だった。誰だ、茂って?
詳しく教えてくれるのは、池袋で飲食店を営む大林芳彰さん。彼の祖父の大林茂さんがサンドイッチを斜めに切り、サンドイッチを三角形にしたそうだ。
話は、戦争の傷跡が癒え始めた1950年(昭和25年)にさかのぼる。当時33歳だった茂は台東区のパン店で新作開発を担当していた。毎日常連客でにぎわうお店だったが、サンドイッチだけは売れ残るのが常。その理由がわからずにいると、あるお客さんが「サンドイッチって何が入ってるかわかんない」とつぶやいた。それを聞いた茂はパンのフチまで具を入れ、横からでも中身が見えるサンドイッチを作った。しかし、当然ながら食べづらく、中身がこぼれてしまうという失敗作に終わる。
そして同年のクリスマス、妻の孝がクリスマスケーキを切り分けると、スポンジの中にイチゴが入っていないことが判明する。落ち込む孝に「ケーキは切らないと中身がわからないから」と慰める茂。そのとき、茂は自らの言葉にハッとした。
そして、ケーキを切るように四角形のサンドイッチを斜めに切る茂。こうして、中身が見える三角形のサンドイッチが発明されたのだ。さらに、具が見えやすいように包みを箱から紙に変え、お店に並べるとサンドイッチは瞬く間にヒット商品に! さらに一時期、茂は三角形のサンドイッチの特許まで取ったという。三角形のサンドイッチの発祥は、なんと台東区だったのだ。
この三角形のサンドイッチが日本全国で売られるようになったきっかけは、1964年の東京オリンピック。当時は軽食といえばおにぎりが定番だったが、「世界中の人が集まるオリンピックの会場で三角形のサンドイッチを売りたい」とパン職人たちが茂の元に殺到。「三角形のサンドイッチをもっと世の中に広めたい」と考えた茂は、他のパン職人たちが三角サンドイッチを自由に作ることを許可した。そして、茂自身もオリンピック会場でサンドイッチを販売し、1日に千個近くも売ったそうだ。
茂の柔軟な判断のおかげで三角形のサンドイッチは広まったということだ。ありがとう、茂。
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