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「呼びかけ」が生まれ、卒業式は感動的なイベントに変貌した
コロナウイルスの影響で卒業式の中止を決定した学校は多い。きっと、今みたいな状況になる前に収録は行われたのだろう。
「楽しかった運動会!」「運動会!」とコール・アンド・レスポンスのように声を上げる「呼びかけ」というやりとりが卒業式にある。それを踏まえ、チコちゃんはザキヤマに卒業式についての質問を出した。
チコちゃん「なんで卒業式で呼びかけをするの?」
ザキヤマ「(呼びかけの)台本を書く組織と教育委員会の癒着ですかね、あれは」
面白い答えだが、そんなわけない。チコちゃんが発表した答えは「カリスマ校長の学校改革」だった。
“昭和を代表する教育者”と呼ばれた斎藤喜博は昭和27年に群馬県島小学校の校長に赴任。同校は彼がそれまで見てきた学校と比べ、自主性のない子どもや疲れ切った教師が多かった。学校の状況を変えるべく、斎藤は学校改革に着手した。通信簿の5段階評価はやめ、運動会の計画と進行は子どもたち主導にし、合唱を多く取り入れ、大きく元気な声を出す習慣をつけたのだ。すると、明るい子どもたちが増えていった。さらに、教師は休みを取りやすくし、会議の終了時間は絶対オーバーさせないなど働き方の見直しを図り、イキイキとした授業が行われるようになった。
斎藤による学校改革の集大成は卒業式だった。今でこそ感動的なセレモニーというイメージが強い卒業式だが、昔の卒業式は決してそうではなく、祝詞ばかり続く形式ばった堅い式典的な印象が強かったのだ。斎藤は卒業式を子どもたちが本当の感動を得られるイベントにしたいと考え、「呼びかけ」を始めた。斎藤が自ら書いた台本の内容は以下だ。
教師「さあ、これから卒業式を始めましょう」
在校生「今年の卒業生は何人ですか?」
教師「卒業生はね、10人ですよ。みんな揃って卒業できて本当に良かったね」
在校生「おめでとう」
卒業生「ありがとう」
こうして、昭和30年に日本で初めて卒業式の呼びかけが島小学校で誕生。その後、斎藤は教育者対象の勉強会を開き、先生たちがそれぞれの学校に持ち帰ることで呼びかけは全国に広まっていった。
ただ、現在行われている呼びかけは、用意された台詞を読むだけの形式ばったイベントになった感がある。皮肉な話だ。
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